藤井聡太

 私が通っていた中学校では、クラブ活動― 部活ではない ―というものがあった。何か一つだけ種目― ソフトボール・バドミントン・トランプなど ―を選び、週に一度(一コマ)だけそれに勤しむ。どのクラブに所属するかは、各々の希望によるが、どれも定員があるから、思い通りになるとは限らない。もっとも、私はどうせサボるのだから、どこに所属してみた所で大した違いはなく、中学二年生の私は、何の気なしに目の前にある列の最後尾に並んだ。それが将棋クラブの列だと知ったのは、私に記名する順番が回って来た後の話である。
 最初の頃は、そのクラブ活動の時間の全てを睡眠に充てていた。ところが、まどろみの中を打ち響く駒音を聞いている内に、少しばかし興味が沸いて来た。とは言え、将棋のルールからして私には分からない。仕方なく、教室に置いてあった初心者向けの将棋の本を手に取り、目ぼしいルールだけは一通り覚えた。
 最初の頃は負け通しだったが、一か月を過ぎる頃にはかなり勝てる様になり、それから2~3か月も過ぎた— 歩の使い方を覚えた ―辺りになると私に敵う者はいなくなっていた。こうなって来ると、将棋の世界にも興味が沸いて来る。ちなみに、当時は現・将棋連盟会長の羽生善治が頭角を現し始めていた時期であり、また彼の師匠である二上達也が将棋連盟会長を務めていた時期でもあった。私の敬愛する升田幸三― 氏に至っては、もはや歴史上の人物である ―を知ったのも、この頃であったと記憶している。
 当時の私は、プロ相手でも二枚落ちならそれなりに指せると思っていた。そんな折、史上最年少の17歳(高校二年生)で全日本アマ名人になった早咲誠和― 氏は私の知人のいとこであり、小・中学校も私と同じである ―と対局する機会に恵まれた。結果は、飛車角香落ちの下手番での対局ですら、敵陣に飛車を成り込ませるのがやっという有様。にわか将棋指し― しかも中学生 ―を相手に、実戦で鍛えただけの実力など、この程度のものである。ちなみに、そんな彼でも、全盛期はとうに過ぎている中原誠― 十六世名人(実力制五代名人) ―に角落ちの下手番で敗北を喫している(※01)。将棋の奥深さが伺えるエピソードである。
 ところで、実を言うと私は、将棋のアマ六段(※02)になる資格を有していた時期がある。より詳しく述べるならば、アマ六段を申請しさえすれば、確実に授与される状況に、かつてはあった訳である。ただ、この資格のための試験というのが、局面を見て次の(最善の)一手を当てるといったもので、そんな大して難しくもない試験に10問ほど連続で正解したから六段というのは、如何にも胡散臭い。そこで、その問題が掲載されていたサイトをよく読んでみると、何でも六段の免状を申請するのに26万円程度を支払う必要があるとの由。これでは、ディプロマミル(※03)と大して変わらんではないか。羽生善治会長には、是非とも(日本将棋連盟の)コンプライアンスの徹底に取り組んで頂きたいものである。

 そんな将棋界に於いて、昨日は歴史的な日となった。藤井聡太七冠が唯一残ったタイトルである王座を獲得し、将棋史上初めて全八冠を独占した(※04)のである。もっとも、彼に至っては”(全八冠を)独占できるか否か”よりも、”いつ独占するか”の方が話題としては相応しいだろう。そして、おそらくは向こう10年以上、この状態が続くものと思われる。ちなみに、この状態があと2~3年も続けば、彼はタイトル戦の通算対局数が順位戦の通算対局数を上回る史上初めての棋士になる計算になる。彼の圧倒的な強さを物語る記録である。
 彼の強さに最も深く関与しているのは、おそらくは詰将棋により鍛えられた精緻な読みの力であろう。プロはよく”100手先を読む”と言われるが、この場合の読みというのは、”こういった局面が現れ得る”といった具体性に乏しい大まかな読みである。そして、競技が進行し、差し手がある程度まで絞れて来ると、今度は精度の高い読みが出来る局面になって来る。これが、俗に言う”終盤”である。思うに、藤井はこの精度の高い読み― 終盤 ―に差し掛かるのが、多くの対局に於いて他の棋士たちよりも早いのではないか。だから、彼の相手を務める棋士の多くは、精緻な読みに入った段階で既に藤井の術中にはまってしまっている…そういう事なのだろう。

 彼の偉業を心から称えると共に、今後のより一層の活躍に期待したい。

※01:羽生善治、森内俊之の両者には、同じく角落ちの下手番で勝利している。
※02:昔はアマ五段でも、都道府県代表クラスと渡り合える実力者であった。
※03:一定の権利や権威を有さないにも関わらず、無審査か若しくは極めて平易な審査を以て高等教育の学位らしきものを授与する団体。金品を目的とした詐欺的商法であるが、買い手にも自覚がある― 他者を欺く目的で購入する ―という点に特徴がある。
※04:但し、全冠制覇そのものは、現在よりもタイトル数こそ少ないものの、升田幸三(全三冠)・大山康晴(全三冠)・羽生善治(全七冠)らにより達成されている。