先日、とある生徒(私の仕事の一つは、講師業である)から、「”無限に近づくという事”に書いてある生徒って、一体誰なんですか?」と聞かれた。まあ、インターネット上なので、あまり詳しい事は書けないが、この生徒というのは、私が昨年まで大手予備校系の塾で教えていた中学三年生(現在は、高校一年生)の生徒である。ちなみに、私は一度、この生徒本人から、「あの記事に書いてある生徒とは、私の事ではないか?」といった風な事を聞かれ、咄嗟にごまかしてしまった事がある。我ながら不思議に思うのだが、こういう時というのはなぜか照れ臭さを感じてしまい、なかなか正直には言えない。もっとも、この生徒は頭が良いから、私の下手な嘘にはたぶん気付いている。気付かれると分かっていても、ひねくれた対応をしてしまう。我ながら、妙な性分だと思う。
ところで、上記の質問をして来た生徒は、「僕の一風変わった質問にも、答えて頂けるとありがたいんですけど…」と、以下の問題(概要。本文は、他のウェブサイトより引用)と解答が書かれた紙を私に見せて来た。
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Question:
プレイヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろにはハズレを意味するヤギがいる。プレイヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレイヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレイヤーはドアを変更すべきだろうか?
Answer:
変更した方が良い。
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何故こうなるのかを、高校生の自分でも理解できる様に教えてくれと言う。ちなみに、これは数学の専門家の大半が間違えた曰く付きの問題(※01)であり、私も以前、とある説明会で論理と感覚の齟齬を説明するのに使った事がある。
ところで、この問題に対する正しい解釈は次の通りである。プレイヤーに与えられる最初の選択肢は、ある任意の扉を選ぶか、それ以外の扉を選ぶかのいずれかである。尚、この際ある任意の扉が当たりである確率は1/3であり、それ以外の2つの扉の何れかに正解が含まれる可能性は、おのおの1/3ずつの計2/3である。次に、プレイヤーが扉を変更しなかった場合とした場合について考えてみると、変更しなかった場合に当たりを選ぶ確率は当然に1/3である。一方、残る2つの扉のいずれかに当たりが含まれる確率は2/3であるが、通常であれば― モンティーがはずれの扉を開けなければ ―ここで確率1/2の選択を迫られる事になるから、当たりを選ぶ確率は”2/3 × 1/2 = 1/3”の、おのおの1/3となる。ところが、実際にはプレイヤーが任意の扉を選んだ時点で、残る2つの扉の内のハズレの方の扉はモンティーによって開けられている。そして、この状況であれば”プレイヤーが残る2つの扉の内、はずれの扉を選ぶ”という選択肢はなくなる― 一択になる ―から、プレイヤーが扉を変更した場合に当たる確率は”2/3 × 1/1 = 2/3”となる。
この問題が直感に反する様に感じる人の多くは、おそらく”はずれの扉を開ける”という新たに加えられた条件に対する解釈を間違えている。これにより変化が生じるのは、”プレイヤーが、その開けられた扉を選ぶ確率(※02)”であって、”おのおのの扉が当たりである確率(※03)”ではないのである。
論理的に物事を考える上で重要なのは、物事の本質を捉える事である。しかし、こういった能力というのは多分に先天的なものであり、努力によって飛躍的に向上させるのは不可能だという現実も一方ではある。難しい所である。
※01:”モンティ・ホール問題”と呼ばれており、数学者、並びに(数学の)博士号取得者の多くは”変更してもしなくても、当たる確率は変わらない(1/3)”と考えた。
※02:これは、実質0%である。
※03:”3つのドアの内のどれか一つが当たりである”という条件は変わらないから、モンティがはずれの扉を開けた後も、おのおのの扉が当たりである確率は1/3のままである。