投稿者「伊賀上剛史」のアーカイブ

青少年の頃の思い出⑥

 私が少年だった頃、自閉症の遺伝子が、しばしばその持ち主に驚異的な知能や傑出した才能をもたらす事は、― 専門家の間ですらも ―殆ど知られていなかった。当然、私も自身がアスペルガー症候群である事― その名称すらも ―を認識しておらず、ただただ周囲との知能の格差が様々な問題を引き起こしている― 実際、そちらの方が大きいのだが ―ものと、あまり深くは考えずに日々を過ごしていた。と言うのも、独特すぎるが故に様々な問題が生じるというのは、生まれた時から日常的に経験して来た事であり、それはもはや私にとっての”普通”である。歯みがきが面倒くさいからといって、その習慣が宿命づけられている事を不幸だと嘆く者など、そう多くはいないだろう。私の周囲で起こる― 傍からは特殊に見える ―様々な問題も、私からすれば歯を磨くのと同じ種類の煩わしさでしかないのである。
 しかしながら、私の周囲はそうは思っていなかったらしく、例えば私の母などは、学校の先生などから「こんな変わった生徒は初めてです」と言われる私を大いに心配したらしい。小学校から中学校にかけて、県の施設やら病院やらといった所に連れて行かれ、よく分からない分野の専門家を標榜する人たちや、果ては統一教会関連― もっとも、当時は”天地正教”を名乗り正体を隠していた ―の施設にまで連れて行かれ、よく突っ込みどころ満載の説法を聞かされた(※)ものである。
 そんな中、私が最も怒りを覚えたのは、”大分丘の上病院”の院長である””帆秋 善生””に対してであろうか。彼は、私が自身の知能に相当な自信を持っていると悟るや否や、私の自負心を削ぐべくありとあらゆる― 医療の名を借りた ―誹謗や中傷を畳みかけて来た。挙句、私は憤慨し診察室を早々に立ち去ったのだが、同伴していた母には「どのくらいで怒るかを、試していたんです」などと弁明していたらしい。無論の事、相手を怒らせて分かる事など何もないし、それ以前に医師と患者との信頼関係が崩壊した状態での診察など― 精神科ならば尚更 ―成立するはずもないから、彼の弁明が言い訳でしかない事、及び、彼の対応が医師として— それ以前に、大人として ―不適切なものであった事は明らかである。
 ちなみに、これは意外に知らない人が多いのだが、日本に於いて精神科医は、他の診療科よりも下と目されている向きがある。これは、身体医療について行けなくなった医師が、半ば逃げ込む様な形で精神科に流れ込む傾向があるからで、特に私立大学出身― 医学部は特に、国立と私立の格差が激しい ―の医師に関しては、その傾向が顕著である。精神科の医師は、慎重に選ぶべきであろう。ちなみに、私は診療科に関わらず、原則として私立大学出身の医師― 蛇足だが、前述の帆秋は私立の久留米大学医学部出身 ―には罹らない事にしている。無論の事、出身大学の偏差値が全てではないし、例外的なケースも少なからずあるのだが、医学部志望の生徒を少なからず指導して来た経験から言わせて頂くならば、やはり全体的に見て持っているモノ― 知的にも人間的にも ―は明らかに違う。俗な意見に聞こえるかも知れないが、これが現実なのである。
 ところで、そんなガラクタたちに紛れて、一人だけ私という人間を鋭く見抜いた人物がいた。当時、県の相談員をされていた”大嶋 美登子”氏がそうであるが、曰く「彼(私)は、全て自分で考えようとするんです」「彼は、独自の世界の中で生きています」「彼は、人の影響を受けないんです」と、今思えば自閉的傾向(自閉的認知行動特性)の事を言っているとしか思えない様な事を、― あの当時にして ―指摘し得たのである。私の母が全幅の信頼を置いていた氏は、それから程なくして別府大学の教授になられ、最後は学科長にまでなられた。学部の偏差値はアレだが、あそこの上層部の人間の人を見る目はなかなかのものがあるのではないかと思う。
 ところで、実を言うと、この記事を書く気になったのは、最近になって以下の記事を見つけたからである。

大嶋美登子名誉教授が日本精神保健福祉連盟会長表彰を受賞

 先生の受賞を、心よりお祝い申し上げると共に、あの当時の― 私という問題児を抱え苦しんでいた ―母に親身になって寄り添ってくれた事、心から感謝いたします。

※ 本ウェブサイト記事”宗教の本質”にあるエピソードは、大分市顕徳町に当時存在した天地正教の支部内での出来事である。