自動運転システムがもたらす未来

 私が、二十歳になるかならないかくらいの頃だったと思うが、AI(人工知能)を利用した、自動車の自動運転システムというものが、何かの本で紹介されていた。私は、その記事に強い衝撃を覚え、周囲の人間に吹聴して回ったが、周囲の人間の反応は、おしなべて冷ややかだった事を記憶している。どうやら、彼らには、この技術の社会的な有用性が理解できないらしい。
 私が、あの記事を呼んで思い描いた未来とは、次の様なものである。まず、自動運転システムがタクシーに適用される。すると、タクシー料金の大半を占めている人件費が削減できるから、乗車賃は大幅に安くなる。また、タクシーの乗車賃が、自家用自動車にかかるコストの総計を下回ると、実用的な目的で自動車を所有する人は少なくなる。つまり、公道を走る自動車の数は、大幅に減るのである。
 これにより、考えられる帰結としては、次のものがある。まず、自動車が減った分だけ、駐車場も必要なくなるから、その分の土地が使える様になる。また、汚染された空気の問題は改善され、公道を走る自動車の絶対数の少なさと、AIが実現する正確さや機敏さから、交通事故も大幅に減るだろう。だが、人間の生活に最も大きな変化をもたらすのは、渋滞の緩和に伴うものである。渋滞が緩和されれば、移動時間は大幅に短縮される(加えて、AIであれば、”高速で安全”な運転も可能である)。また、自動車の現在位置や状態、注文状況などを統合制御するシステムがあれば、時間や場所、イベントの有無などにより予想される注文状況に応じた数の自動車を現場付近で流しておき、携帯型のデータ端末の様なもの(今で言えばスマートフォンだが、当時は存在していなかった)で注文を受けてから駆けつけるという対応が可能だろう(人の手は必要だが、これに近いものは、現在でも存在する)。更に言えば、これにより電気自動車も普及するのではないかと考えている。電気自動車の普及に際し、最大のネックとなっているのは、充電できる場所(スタンド)の少なさだが、コンピューター制御なら、少ない数のスタンドを効率よく利用する事ができるから、僅かな店舗数でも十分、実用に耐えるのである(※01)。
 ”速さ・手軽さ・迅速さ”に於ける総合力が、バスや鉄道を上回れば、短・中距離に於ける移動手段として、これらは使われなくなる。また、鉄道が重要な交通手段でなくなるという事は、同時に駅の持つ重要性の低下を意味している。駅の近隣でなくとも、商業的な成功を収めやすくなるから、高い地代を払えない中小の企業も、市場に参入しやすくなるだろう。また、交通の便などといった事を考えなくても良いから、居住に適した地域も一気に広がり、地価の均整化も期待できるはずである。

 この技術の実用化は、私の予想に反して遅かった(私は、2010年頃には実用化されると踏んでいた)。最近、ようやくその目処が立って来てはいるが、実用化されるのは、まだ少し先になるだろうし、イニシャルコストが普及価格帯まで下がるのは、(開発費用を回収した後の話であるから)まだまだ先の話になるだろう。日々、しのぎを削って取り組んでいる各社には、大いに頑張ってもらいたいものである。

※:私は、電気自動車はユーザーの側で充電するのではなく、空のバッテリーと充電したバッテリーを丸ごと入れ替える方式にした方が、理に適っているのではないかと考えている。