詭弁②

 先日、ひょんな事から知人と口論になった。事のあらましはこうである。その知人は、年収が600万円に届かない人間は世の中のお荷物なのだと言う。何の事か分からないので、詳しく聞いてみると、どうやら年収が600万円に満たない人間は、所得税の納税額が平均に満たないらしい。つまり、これらの人間は、納税額が平均を超えている人間から払ってもらっているのと同じ事であるからお荷物だ…と、そう言っているのである。
 いつもの私であれば、こんな馬鹿まる出しの詭弁は捨て置く所である。ところが、その日は考え事が多く気が立っていた事もあり、つい「足りんな…」と余計な事を口走ってしまった。無論の事、そこから論戦の様相を呈して来た訳だが、私としては彼一人を論破してみた所で、時間と労力の無駄である。そこで、私のウェブサイト― 無論の事、本ウェブサイトの事である ―でその理由を述べるという事で、一応の決着をつけた。まあ、ウェブサイトの記事が増えるなら、多少の労力と時間は費やしても良いだろう。

 かかる主張に於ける欠陥の一つは、社会的な貢献を金銭に反映されているものに限定している点にある。これは、企業の活動のみで社会が廻るのか…と考えれば、自ずから明らかであろう。社会というのは、家事労働に代表される金銭に反映されないもの― 本ウェブサイトの存在も、その一つに数えて良いだろう ―にかなりの部分を支えられている。よって、金銭的な貢献を以てのみ社会的な貢献を語るのであれば、その論理は片手落ちとの非難を待逃れる事は出来ない。
 この主張のもう一つの問題点は、個人により算出された価値と対価とを混同してしまっている点にある。企業の生み出す付加価値とは、その企業に於ける労働の従事者が生み出した価値の総和であるが、それらが適正に分配されているかと言えば、― 特に、年功序列が色濃く残っている日本社会に於いては ―多くの場合に於いてそうではないだろう。例えば、年収2,000万円の経営者が、年収400万円の社員の5倍の価値を生み出しているかと言えば、おそらくは違うケースが大半である。また、この経営者は労働者の生み出した価値までをもせしめてしまっているのであり、またその中から税金を支払っているのであるから、その社員は年収により算出される以上の税金を― 間接的に ―支払っているという見方が出来る。つまり、この主張は”(おのおのが生み出す価値)=(その人が得る対価)”という図式が成り立っている場合に於いてのみ成立するのであるから、多くの場合に於いてそうではない社会の現状に於いては、全く成立しないのである。

 このくらいの詭弁であれば気付く程度の聡明さを、世の多くの者には期待したい所である。尚、話を分かりやすくするために、細かい議論― 法人税に関する事など ―は敢えて省いた事を、最後に申し添えておく。