社会インフラ

 私の故郷である大分には、大分空港と速見郡日出町を結ぶ、大分空港道路という一般道がある。これは、古くから存在する海岸沿いの道路に対し、山の中を突っ切って行く分だけ距離が稼げるといういわゆる”近道”であり、かつては有料道路であった。しかしながら、大分空港は大分市や別府市といった、大分県の主要都市からは相当に離れており、お世辞にも使い勝手が良いとは言えない。従ってその利用者は少なく、当然それに伴う形で、大分空港道路の利用者もまた少なかった。
 ニュースステーションという番組が存在していた頃、同番組でこの大分空港道路が取り上げられた事がある。当時はちょうど、地方に点在する有料道路(主に高速道路)の赤字額の大きさが指摘されており、日本道路公団総裁の藤井治芳が、その批判の矢面に立たされている真っ最中であった。この大分空港道路は、その格好の実例だった訳である。
 しかし、この批判はいささか的外れである。と言うのも、日本国民には文化的生活を営む権利があり、同時に居住移転の自由(自分の好きな所に居住・移転する積極的権利)もあるから、どこに住もうが、最低限文化的生活は保障されなければならない。また、有料道路は、その地域と、それ以外の地域間に於ける移動、及び物資の輸送に使用されるから、文化的生活を実現する上で必要な所謂”社会インフラ”の一つであり、これは採算が取れるか取れないかに関わらず、設置されて然るべきものである。つまりは、採算が取れないから、その有料道路は無駄だというのは、金にならないから図書館は廃止すべきであると言っているのと同じで、全くの愚論なのである。
 有料道路は、なまじ料金を取ってしまうから、世の多くの者たちは、この辺りを勘違いしてしまうのだろう(実際、もし国内の全ての道路が無料であったならば、こんな批判は起こらなかった筈である)。だが私は、この馬鹿げた批判も一過性のものであるに過ぎず、その内に、この間違いを指摘する者が現れ、事は解決するだろうと思っていた。ところがいつになっても、そんな者は現れない。そしてとうとう最後には、藤井総裁更迭という形で決着してしまった。
 辞めろ辞めろの大合唱の中、彼は最後まで自らその職を辞する事はなかった。あの状況で、自らその職を辞するという事は、技術畑出身である自らがやって来た仕事が無駄であったと認めるに等しいから、それは当然だろう。その時すでに高齢であり、在職し続けたとしても、そう先が長い訳ではないのだから、辞めてしまった方が遥かに楽だったであろうと思われるが、最後まで戦い抜き、筋を通した彼に私は、エンジニアとしての誇りを見る思いだった。

 世の政治家やマスコミ、知識人達の知的レベルの低さは、目を覆わんばかりである。もう少しマシなのは出て来ないものか…この思いを抱え続けたまま、私は今日に至っている。