昔、勤めていた会社

 先日、懐かしい知人に偶然出くわした。私も、かつては勤め人(講師業)をしていた時期があり、その知人と知り合ったのは、その会社に於いてである。

 懐かしいので、少し詳しく書いておく。当時の私は、会社の経営陣と真っ向から対立していた。まあ、どんな諍いでも、きっかけは大概、些細な事である。生徒が、とある試験を受けるに際し、その代金を支払いに来た。ところが、事務所には私しかおらず、私は教える方が専門で、事務仕事はやらないから、その処理の仕方が分からない。仕方がないので私は、その代金を受け取り、やっとの思いで見つけた領収書(市販のもの)に代金を書き、会社と私の判子を押して渡したのだが、それが駄目だという。
 その上司の言い分は、こうであった。領収書は、ちゃんと会社所定のものを使って欲しい。事務所に誰もいなかったと言うが、それならば何故、自分を呼ばなかったのか?それに対し、私はこう反論した。君は当時、授業中だった。領収書云々は、授業を中断すべく正当な事由とはなり得ない。また、そういう場面に臨機応変に対応出来ない様では、子供の遣いと同じである。私が渡した領収書は、法的に問題のないものであり、またあの時の私の行動は、如何なる観点から見ても合理的なものだった。私に落ち度はない…と。するとその上司は、これは会社の方針なのだから従えと言う。いやいや…この馬鹿には、正直私も呆れ返った。会社所定の領収書を切る為に授業を中断するなど、以ての他である。これは、会社の方針云々の問題ではあるまい。
 この種のエピソードには事欠かないが、際限がないので、あと二つだけにしておく。一度、遅刻(私は時間通りに出社したのだが、誰も目撃していないから…という訳の分からない理由で、遅刻扱いになった)で減給された事がある。それに対し私は、こう言った。遅刻を理由とし、減給されるならば、当然に残業代は支払われなければおかしい。数分の遅刻は問題になるが、数時間の残業は問題にならない?馬鹿なのか、君は?
 余りにも上に媚びへつらう茶坊主の多い会社だったので、私はそういった者達を総称し、「○○(会社名)の飼い犬」「○○家(社長の苗字)の番犬」と公言していた。すると、別に名指しで言っている訳でもないのに、その該当者が憤然と怒り出し(つまり、自覚があるという事である)、私を処分する様、社長に泣きついた。社長としても、可愛い飼い犬の頼みとあっては、聞き入れない訳には行かなかったのだろう。結果、私は戒告処分を受けた。戒告書には、社内の秩序を乱す云々と書かれている。まあ、単純に考えれば、確かに私の発言は、一部の者達に不快感を与えるものではある。しかし、上役のご機嫌を取る為に、彼等と一緒になって理不尽な言い分を後押しする者達と私…本当の意味で会社の秩序を乱しているのは、果たしてどちらなのだろうか?考えるまでもあるまい。
 前述した通り、当時の私と会社の経営陣とは、対立関係にあった。いや、私達と…と言うべきであろうか。腐りきった経営陣、そして、私の正しさを知っている、良識と勇気ある者達は、私の側についてくれた。だが、そんな状況に危機感を覚えたのか、経営陣は最後の手段に打って出た。嫌がらせ人事である。私の授業コマは全てなくなり、曜日毎に職場が変わる、補助的な仕事に廻された。もっとも、この会社は以前、辞めさせたい人間を、当時の社長が別に経営していた料理店の配膳係に廻すといった事までやらかしていたから、この程度の事は覚悟していた。私は、この不当な人事が解除されるまで出社を拒否する旨の通知を内容証明郵便で送り、一定期間が過ぎた後、訴訟を起こした。結果、会社側から和解金が支払われ、私はその会社を去った。
 もっとも、今思えば、これは最良の選択だった。そもそも私は一人で考え、一人で行動するタイプだから、人と強調しながら…というのは無理がある。また、(日頃は隠しているが)気性が激しく、好戦的なタイプであるから、不満を抱えつつも穏便に…という訳にも行かない。つまり、元来が組織の歯車には、甚だ不向きな人間なのである。あの一件がきっかけとなり、私は個人事業主という、比較的自由な立場で仕事が出来る機会に巡り会えた。これにはやはり、感謝すべきだろう。

 冒頭の知人の話に戻ろう。その知人が言うには、その会社で生徒数が最も多いの校舎の責任者をしていた者(前述の上司とは、別の人物)が退職したらしい。その彼についても、少し言及しておこう。私が入社して一年が過ぎた頃、伊賀上は一筋縄では行かない人間だと、社内ではすっかり有名になっていた。そんな中、私は彼が管理する教室への配属が決定した。その折、彼はその教室の全従業員(私を除く)を前に、こういった風な事を豪語したそうである。「皆は、甘すぎる。自分なら、伊賀上さんを制御してみせる」。しかし、彼が責任者として、それなりにやって来れていたのは、飼い犬ばかりの会社であり、しかも彼が社長の寵愛を一身に受けていた為、批判する者がいなかったからである。恐らく彼は、それを全て自分の力量だと勘違いしたのだろう。事実、彼が私に対しやった事と言えば、高圧的な態度で接した位のものである。つまり、高圧的に出れば、相手は自分の言う事を聞くだろう…といった程度の、小学生レベルの認識しか、彼は持ち合わせていなかった。それだけ見ても、彼が如何に、人の上に立つ者として不適格であるかが分かる。
 そんな彼と、私は一度、校舎で激しくやり合った。飼い犬ばかりを相手にして来た彼からすれば、これは衝撃的だったに違いない。事実、彼がその時に見せた醜態は、今でもはっきり思い出せるくらい、凄まじいものであった。そして彼は、一時の感情を抑えられなかったばかりに、紳士の仮面の下に隠していた素顔を、全従業員の前に曝け出してしまったのである(その場に居合わせた人物の一人は、後にその時の彼の事を「見せちゃった」と表現した。その事実からも、その時の彼の言動が如何に分別を欠いたものであったかは、想像がつくだろう)。取り返しのつかない事をしてしまった彼の後悔は、やがて怒りに変わった。ところが、その怒りは、本来ならば上司として不適切な言動をしてしまった自分に向けられるものであるにも関わらず、私に対して向けられた。つまり、逆恨みである。結果彼は、私がいない所で私に対する誹謗中傷を繰り返すという、上司としてあるまじき行為を繰り返すに至る。私はこの事実を携え、社長に迫った。彼を処分する必要は無いのか?…と。こうなると流石に、社長も庇う訳にはいかない。結果、彼には厳重注意が与えられ、取締役会に於ける公式な和解の場に於いて、和解するに至った(もっとも、彼はその後も、影で中傷を繰り返していた様である。あの一件が、余程響いたと見える)。
 その彼が、退職したという。私は情報を集めるべく、彼のブログにアクセスしてみたのだが…どうやら彼は、私が抱いていたのと同じ様な不満を、会社に対し抱いていたらしい。しかしながら、私の時に彼は会社側の飼い犬だった。つまり、あの会社の社長にしてみれば、飼い犬に手を噛まれた心持ちであるに違いないが、数年来の鬱積に堪り兼ねた窮鼠は確かに、猫を噛んだのである。

 人生いろいろだな…改めてそう思わされる、今日この頃である。