1923年08月23日、陸上の中長距離で圧巻の強さを誇っていたフィンランドのパーヴォ・ヌルミが、1マイル(≒1609.344m)04分10秒04の世界新記録を打ち立てた(※01)。また、この記録が余りにも衝撃的だった為か、長らく1マイル4分の壁は、人類には決して破る事の出来ない壁― 煉瓦の壁 ―と言われていた。ところが、それから30年余りを経た1954年05月06日、オックスフォード・エクセターカレッジの医学生だったイギリスのロジャー・バニスターが、03分59秒04という”不可能”と言われていた大台に乗る記録を打ち立てた。ここまでであれば、ただ単に”どんな記録も塗り替えられる”というだけの、過去幾度もに渡り繰り返されて来た歴史の中の1ページであるに過ぎなかったであろう。だが、それから僅か46日後の1954年06月21日、今度はオーストラリアのジョン・ランディにより03分58秒00の新記録が打ち立てられ、その後の1年で37人が、更にその後の1年で300人余ものランナーが4分を切るタイムで1マイルを走破する事に成功した。これらは、人間の思い込みが持つ影響力の大きさを物語る有名なエピソードであるが、その意味に於いて大谷翔平の残した足跡は大きいと言えよう。体格で劣るアジア人でも、メジャーリーグに於けるパワーヒッターとして通用する事を証明してみせた彼は、まさにアジアの野球人― とりわけ野手 ―に於けるロジャー・バニスターである(※02)。
そんな彼へのアメリカ人の反応を見ていて、思う事がある。言うまでもなくベースボールはアメリカの魂であり、故にベーブ・ルースはアメリカを象徴する英雄の一人である。にも関わらず彼らは、極東の島国から来た浅黒い肌を持つ若者に対し、― 打者と投手の二足の草鞋を履いた有名な例が、他に少ないとは言え ―そのベーブ・ルースの名を冠するという最大級の賛辞を送っている。だが一方で、当ウェブサイト記事、”大相撲の報道について思う”でも既に述べた通り、今や相撲界の主役となったモンゴル勢に対する悪質な嫌がらせ― 出所不明なしきたりを根拠とした、意味の分からない非難 ―は、今も変わらず続いている。情けない事である。
私は、中国共産党― 現代中国の為政者たち ―は嫌いだが、鄧小平は”白い猫でも黒い猫でも、鼠を捕るのは良い猫だ”と言った(※03)。そして信長は、イエズス会の宣教師が連れてきた黒人奴隷を家臣として召し抱え、短刀と屋敷と”弥助”の名を与えた。秀吉は平民から成り上がった唯一の天下人であるが、彼がどの平民よりも優れていたかと言えば、それは違うだろう。彼以上に才覚に於いて秀でていた平民は、おそらく他にもいた。ただ、彼らの秀吉と大きく異なる点は、能力さえあれば出自を問わず徴用する器の大きな権力者が、周囲にいなかった事である。
野茂がメジャーリーグに挑戦した頃から気になっていたが、今やメジャーリーガーとなった日本人選手を応援している日本人を見ると、「”日本の”松井」「”日本の”大谷」といった感じの、歪な応援の仕方をしている事に気付かされる事がある。だが、ジャッキー・ロビンソン(※04)に始まり、洗練されつつも受け継がれて来たメジャーリーグの思想― 現代アメリカの文化 ―から学び取らなければならないのは、そういう事ではないだろう。我々に今、必要とされているのは、陳腐な仲間意識などではなく、公正さを尊ぶ心― 本当の意味での正義 ―なのである。
※01:この記録自体も、実に37年振りに打ち立てられた新記録だった。
※02:同じ意味で、プロでは決して通用しないと思われていた投手と野手の二足の草鞋を大谷に履かせた栗山英樹氏の功績も、決して忘れてはならない。彼がいなければ、世の殆どの人間は今だに二足の草鞋は不可能だと思い込んでいたであろうし、大谷本人も自身が持つ可能性に気付く事は無かったであろう。
※03:但し、これは鄧小平のオリジナルではなく、四川省に古くから伝わる諺である。
※04:黒人初のメジャーリーガー。彼は差別と戦い抜いたが、現代アメリカに於ける差別が随分と緩和されているのは、彼やモハメド・アリなどがスポーツを通じ人々に感動を与えて来た事が大きい様に思う。