塾の教書

 この記事は、塾というものを深く、また、様々な視点から述べたものである。よって、既に塾の講師として活動している者は勿論の事、これから塾の講師を志す者が読んでも良いし、また、塾を起業しようかと考えている者が読んでも良い。更に言えば、これから塾に通おうかと考えている生徒や、既に通っている生徒、そういった生徒たちの保護者が読んでも良いと思う。なぜなら、塾というものについて深く知る事は、それを選んだり、対処したり、また、それとの関わり方を考える上で- つまり、それに関わる者であれば、誰であっても -有益だからである。

<< 序章 >>

 少し前の事になるが、ある日、とある大学で担当していた講義を終えた際、一人の学生が私に話しかけて来た。彼女は、「私の事、覚えていますか?」と言う。確かに、見覚えはある。しかし、心当たりの生徒は高校一年生であるから、私は、他人の空似だとばかり思っていた。ところが、いろいろと話している内に、彼女は私が以前に担当していた予備校の講座に通っていた生徒であった事が分かった。つまり、私の心当たりは正しかった訳であるが、あれから既に五年が経過してたのだと気が付いた時、私は改めて、月日の流れの速さに驚かされた。
 私は、長期記憶が非常に優れており、一度覚えた事であれば、十年以上前の事であっても、昨日の事の様に思い出せる。つまり、記憶が風化しないのである。そう言えば、二年ほど前に従姉妹の娘を見た際、その子があまりにも従姉妹の幼少の頃に似ていたので、一瞬だけ30年前の記憶と今の記憶との境界が、曖昧になってしまった事があった。こういうのは、通常人にはなかなか理解されない。私の様な人間にとって、この社会は- 特に、日本は -本当に生き難い。
 その教え子から、少し前にメールが届いた。私の下へは、教え子からのメールがちょくちょく届く。これは、嬉しい事である。ただ、そのメールの内容というのが、少し深刻だった。聞くに、塾の講師になろうかと考えているのだと言う。つまり、業界の事情に精通している私に、その内情を含めた詳しい話を聞きたいという、ある種の人生相談なのだが、これは到底、簡単に言い表せるものではない。そこで私は、後日、時間のある時にウェブサイトにアップする旨、伝えた。ところが、いつまで経っても、それらしい記事がアップされない事に痺れを切らし、とうとう先日、彼女の方から私に、催促のメールを寄こして来たのだった。
 私が、長らくアップしなかったのは、彼女とのやり取りの中で得られた、主に視覚、及び、聴覚への刺激が電気信号に変換され、それが感覚野から感覚連合野、前頭連合野を経る過程でニューロンの結合とシナプスの形成を促し、更に、大脳辺縁系の海馬から大脳皮質へと銘記され想起する過程のどこかで、何らかの不具合が生じたからである。つまり、約束を忘れてしまっていたのであるが、この事実をそのまま伝える事はためらわれたので、私は取り敢えず言い訳のメールを送る事にした。
 最初に送ったメールの内容は、実は私は世界征服を目論んでおり、社会を混乱に陥れるべく、空き缶をポイ捨てする、選挙ポスターにひげを書く、シルバーシートに横たわり、三人分の席を独り占めするといった悪事に勤しんでいたため、とても記事を書くどころではなかったというものだった。ところが、この私の会心の嘘は、即座に見破られてしまったため、私は急遽、別の嘘を考えなければならなくなった。そこで思い付いたのが、実は私は、長らく宇宙人に連れ去られており、その別れ際に記憶を消されてしまったというものだった。しかし、これもやはり有効ではなかったため、私は更に、ウルトラ警備隊の隊員となってキングギドラと戦ったり、神に導かれし勇者となって地獄の門番と戦ったりしなければならなかった。私の嘘は、ことごとく有効ではなかった。そこで、私は、方向性を変え、約束を守る事よりも、あの夕日を眺めながら、今この瞬間を生きているという喜びを噛みしめようではないかと、美しい人生論を論じてみせた。彼女の怒りは、ピークに達した。
 彼女の怒りを抑える方法は、もはや記事を書く以外にない様に思われるので、ここら辺りで書いておこうと思う。尚、本記事は塾業界についての解説ゆえ、その他の教育関連の業界については触れない事を、あらかじめご了承いただきたい。

<< 本章 >>

【1】塾とは

 基本的には、学習指導を生業とする民間企業を指すが、その指導の形式により、集団指導塾(比較的多数の生徒に対し、講師一人で授業をする)と個別指導塾(生徒1~4人に対し、講師一人で授業をする)とに分かれる。
 集団指導塾は、主に中学生(小学生)を対象とする。また、指導の内容としては、受験指導(進学塾)と学校などの補習(補習塾)とに分かれるが、巷に存在する塾の大半は前者であり、また、塾と言えば、通常は前者を指す。尚、高校生を対象としたものは、主に塾と予備校であるが、多くは、塾が補習的な内容を扱うのに対し、予備校は受験か、もしくは、受験をより強く意識した指導を行う傾向がある。もっとも、塾については例外も多く見られるため、一概には言えない。
 個別指導塾は、主な対象となるのが小学生から浪人生までと幅広く、指導の内容も受験指導から補習まで様々である。ただ、集団指導について行けない生徒の多くが個別指導塾に流れるため、そこに通う生徒の学力レベルは、やや下位層に偏る傾向がある。
 尚、一つの塾が集団指導と個別指導の両方を扱う場合もあるが、その多くは中小規模の塾であり、これを大規模塾が行う場合、新たに別会社を設立するか、もしくは、同じ会社であっても、別ブランドで展開する場合が多い(※01)。

※01:個別指導塾は、補習塾のイメージが強いため、進学塾が個別指導塾を展開する際は、敢えて同一ブランドでの展開を避ける傾向にある。これは、かつて松下系列の企業が、白物家電をNationalから、それ以外の家電(主にAV機器)をPanasonicから出していた事を考えれば、分かりやすいだろう。

【2】経営的な観点から見た集団・個別指導塾

 塾に於ける運営コストの内、最も多くを占めるのは(普通は)人件費であるが、集団指導塾が(多少の)生徒数の増減に対しコマの増減がないのに対し、個別指導塾は生徒数とコマ数が近似的に比例する。そして、コマの増減は同時に、必要となる人員(講師)の増減を伴うから、個別指導塾に於ける生徒数の増減は、同時に投入しなければならない講師数の増加に繋がる。また、個別指導塾の講師が、基本的にアルバイト(これについては、後述する)である事を考えれば、集団指導塾の人件費が基本的に固定費(売上に関わらず発生する費用)であるのに対し、個別指導塾の講師の人件費は実質的に変動費であり、生徒数の増加が売上に結び付き易いのは、集団指導塾の方である。ただし、逆を言えば、個別指導塾は生徒がいなければコマも発生せず、講師の人件費も発生しない。つまり、個別指導塾は、利益が少ない代わりに経営面での安全性が高く、この事から、集団指導塾はハイリスク・ハイリターン、個別指導塾はローリスク・ローリターンの事業形態であると言える。
 尚、現時点に於ける首都圏の集団指導塾と個別指導塾の生徒の比率は、およそ7:3であり、ここ数年の動向を見れば、個別指導塾がシェアを伸ばして来ている。これは、景気の回復と少子化に伴い、子ども一人あたりにかける事のできる教育費が増加した事が要因として考えられるが、今後、出生率が底を打った後の子どもたちが、通塾年齢を迎える事を考えると、今までと同じ勢いでシェアを伸ばして行くとは、少々考えにくい。

【3】集団指導塾の系統別分類

 集団指導(若しくは、それを主とする)塾をタイプ別に分類するならば、

① 営業偏重型 … (首都圏の塾全体の)20%程度
② 営業重視型 … (首都圏の塾全体の)50%程度
③ 授業重視型 … (首都圏の塾全体の)30%弱
④ 授業偏重型 … (首都圏に)2~3社程度

といった感じに分かれる。
 ①は、営業(保護者・社会へのアプローチ)は積極的に行うが、商品(授業)の質には、ほとんど配慮しないタイプの塾である。本当に力のある講師を確保するのは容易ではなく、従って、商品の質を重視するならば、そう簡単に新規展開など出来るものではない。よって、教室数が100を超える様な大規模塾は、基本的にこのタイプだと考えて良い。
 ところで、塾の講師を志す者の多くは、やはり授業を中心に考えるから、こういった塾ではモチベーションの低下が起こり易く、よって必然的に人員の流動は激しくなる(退職者が多くなる)。そしてこれは、次の様な現象を引き起こす。
 通常、塾に務める正社員が最初に経験する昇格は教室責任者(普通は教室長)であるが、(当然の事ながら)教室責任者になるには、そのポストの空きが必要で、これは、教室責任者が昇格する、若しくは、 辞めるか、新教室を立ち上げるといった事でしか生じない。だが、教室長以上のポストは、そう多い訳ではなく、また、新たに立ち上がる新教室も、そう何校もある訳ではないから、多くの場合、新たな教室責任者への昇格は、元々いた教室責任者の退職とセットになっている。つまり、退職者の多さは必然的に、新たに就く教室責任者の増加へと繋がって行くのである。そして、無理な教室責任者への起用は、教室責任者の低年齢化を招く。つまり、こういった塾のもう一つの特徴は、教室責任者の平均年齢が若い事である。
 よく、実力主義を売り文句とし、若い責任者を全面に押し出して来る会社があるが、こういった会社の多くは、公正さが保たれているというよりは寧ろ、不満による退職者が多く、結果として若年者を登用せざるを得ないのである。まさしく、”物は言いよう”であるが、就職先を決める際には、こういった会社側のごまかしに惑わされぬ様、留意しておく必要がある。
 ②は、①の傾向を弱めたタイプの塾で、①が営業と商品にかける比重がおよそ”9:1”であるのに対し、②は”7:3”、若しくは、”6:4”といった感じである。企業というのは、競争力確保のため、自社の弱みでの勝負は避けようとする傾向にある。つまり、このタイプの塾は、商品力の弱さを営業で補っている内に、なし崩し的にそちらの路線に染まって行ってしまったのである。
 尚、①は基本的に、元々は②のタイプであったものが、極端な拡大路線に転じた結果として、その傾向(営業重視)をより加速させた(せざるを得なくなった)ものである。つまり、①の予備軍の多くは、②の中に含まれていると言って良い。
 ③は、②のタイプの営業と商品の比率を逆転させたタイプの塾であり、両者の主たる違いは、商品力で勝負できるか否か、即ち、商品力に於ける勝ち組か負け組かである。つまり、商品力で勝負できる分、商品の比重が高くなっているのであるが、商品力の変動に伴い、②が③のタイプになったり、また、③が②のタイプになったりという事は当然に起こり得るのであり、その意味では、両者に於けるスタンスは、およそ流動的であると言えるだろう。
 ④は、おそらくは大都市、若しくは、大都市近郊にしか存在しないであろう、かなり特殊なタイプの塾である。一部を除き、授業とその他の担当者を完全に分けており、授業の大半を業務委託契約(か、それに近い内容の契約)を結んだプロ講師(これについては、後述する)に委ねる事により、商品(授業)の質を高いレベルで維持している。また、①~③のタイプの塾は、一人の講師が複数科目を担当するのが普通であるが、このタイプの塾は、科目の専門性を高めるため、原則として一科目専任(一人の講師につき、担当科目は一つ)という形を取っている。

【4】個別指導塾について

 個別指導塾は基本的に、各教室の教室責任者(普通は教室長)のみが正社員、若しくは、契約社員(派遣社員)であり、これらは多くの場合、教室管理や営業、教務(これについては、後述する)のみを担当する。また、授業を担当する講師は、普通はアルバイトであるが、これらの待遇は極めて悪いため、大学生の割合が非常に高く、また社会人であっても、講師としてのレベルはあまり高くない場合が多い。
 尚、個別指導塾がこういった形で定着したのは、フランチャイズチェーン(※02)が先導し、シェアを獲得していった所が大きい様に思う。と言うのも、フランチャイズチェーンのオーナーというのは、多くは会社経営に関して素人であり、通常の起業家の様に野心家でもないから、リスクを避ける意識が強い傾向にある。また、フランチャイザーがオーナーを集めるためには、それらのニーズに応える仕組みが提供できなければならないから、それが結果として、塾を運営して行く上で最も大きなコストである人件費を変動費化し安全性を高めた、現在の主流となる形態- 安価なアルバイト講師の多用 -に繋がっているのである。

※02:大本となる会社(フランチャイザーと言う)が、商号・商標などを使用する権利や商品、及び、経営上のノウハウなどを提供し、その見返りとして、通常は売上に対し定められた割合の対価を支払う形の事業形態。代表的なものとしては、大手コンビニエンスストアのセブン・イレブンなどがあるが、これらは同じ商標を持つ店舗であっても、オーナーがそれぞれ違うという点で、直営店とは大きく異なる。

【5】講師の系統別分類

 講師をタイプ別に分類するならば、

① 正社員講師   … 期間の定めのない雇用契約
② 契約社員講師  … 一年間の雇用契約(固定給)
③ アルバイト講師 … 一年間の雇用契約(時間給、もしくは、コマ給)
④ プロ講師    … 業務委託契約、もしくは、それに準ずる就労形態

といった感じに分かれる。
 ①は、多くの塾で”専任講師”と呼ばれている(※03)。業務としては、授業はもちろんであるが(※04)、それ以外にも教室管理や営業の他、塾によっては教務(※05)や掃除などもこなさなければならず、これらの業務が業務全体に占める割合は、塾によりかなりの幅がある。
 尚、意外に思われる方が多いかも知れないが、正社員の場合、若い内であれば採用時の授業スキルは問われない事が多い。これは、授業以外の業務が少なくない事と、若年者の使いやすさが、育成しなければならないデメリットを上回るためであるが、逆を言えば、年配者になればなる程、入社時に問われる授業スキルは高くなる。尚、参考までに言えば、未経験者の採用は、およそ三十代半ば~後半くらいまでである。
 ②は、多くの塾で”準専任講師”、若しくは、”常勤講師”と呼ばれている。業務としては、授業以外は殆どないのが普通であるが、その分だけ、入社時に問われる授業スキルは高くなる。ただし、研修の充実した会社(通常は、大手である)であれば、未経験者であっても、積極採用している場合があるが、この場合の入社時に於ける年齢は、およそ三十代前半~半ばくらいまでである。
 尚、①の勤務時間は昼から夜にかけてのフルタイムであり、また残業も多いが、②は通常は夕方からの半日勤務であり、また残業も多くはない。そのため、この形態で就労する者は、何か副業を持っているか、若しくは、資格試験などを目指している場合が多い。
 ③は、多くの塾で”時間講師”、もしくは、”非常勤講師”と呼ばれている。大学生の比率が高く、一部に社会人も含まれているが、これらの者は大体に於いて、多い順に以下のタイプのいずれかである。

ア:過去に①、もしくは、②の地位を有していたが、何らかの理由でその地位を失い、妥協して③で食い繋いでいる。
イ:過去に①、もしくは、②の地位を有していたが、何らかの理由でその地位を失い、教育関係以外の業種で就労しつつ、副業として行っている。
ウ:他の教育関係の業種(中学・高校・大学・予備校など)との兼業で、副業として行っている。
エ:資格試験などの勉強をしつつ、生活の糧を得るために行っている。

 アは、①・②の形態での就労を希望しつつ、就労できないでいる組であるから、授業スキルは(キャリアに比して)一般に言って低い。また、イは自ら希望して塾の講師を副業化した者と、(アの者と同様に)やむを得ず副業化した者とが混在しており、当然の事ながら、前者の方が平均して授業スキルが高く、後者はアと同様の理由により、低いのが普通である。また、ウは①、もしくは、②の形態で就労する代わりに、他の教育関係の業種で就労しているのであるから、授業スキルは平均か、それより高い場合が多い。尚、エに関して言えば、授業スキルの点から言っても、人材の質といった点から言っても、特に偏りはなく、玉石混交といった感じである。
 ④は、【3】で示した”④ 授業偏重型”の塾にしか存在しないタイプの講師である。報酬が時間単価、もしくは、コマ単価で支払われると言った点では③と同じであるが、その額は最大で3倍以上、最小でも1.3倍程度の開きがあり、また、講師が(従業員ではなく)嘱託である(もしくは、それに準ずる就労形態である)という点でも、大きく異なる。尚、これらの者は大体に於いて、多い順に以下のタイプのいずれかである。

ア:その塾の講師を、専業で行っている。
イ:他塾との兼業で、本業、もしくは、副業として行っている(※06)
ウ:他の教育関係の職種との兼業で、本業、もしくは、副業として行っている。
エ:他の教育関係以外の職種との兼業で、本業、もしくは、副業として行っている。
オ:資格試験などの勉強をしつつ、生活の糧を得るために行っている。

 ちなみに、そもそも④のタイプの講師そのものに、高い授業スキルが要求される(※07)ため、これらア~オの間に、③の様な授業スキルに依存した関係はない。

※03:”専任講師”というのは、法により定められた名称ではないため、どういった身分の者に対し、この名称を用いるかは、基本的に自由である。尚、JASDAQに上場している、首都圏大手の某塾は、正社員講師を”社員”、契約社員講師を”専任講師”と呼び区別している。
※04:これは、あくまで集団指導を主とする塾の場合である。
※05:塾などで発生する事務的な業務の総称(正式には、”教務事務”と言う)であるが、通常の事務と比べ、やや特殊であるため、こういった名称で呼ばれる。尚、これを専門とするスタッフが小規模塾にいる事は稀であり、その場合の負担は当然、正社員講師にかかる事になる。
※06:これが③に含まれていないのは、③のタイプの塾では、原則として他塾との兼業を禁止しているからである。
※07:このタイプの塾は、どこであっても、書類選考後の採用倍率が10倍以上である。

【6】講師の経歴

 よく、塾の講師は学校の教諭と比較されるが、学校の教諭の大半は教諭として以外、就労した経験がない(アルバイトなどは別)のに対し、塾の講師のおよそ9割は他業種からの移転組である。尚、塾業界に入る前の業種については様々で、共通した特徴は見られない。
 ちなみに、大学のブランド別に見てみると、学校の教諭は地方の国公立か、それを少し上回るくらいの大学の出身者に集中しているのに対し、塾の講師はバラつきが大きく、(首都圏に限って言えば)早稲田・慶応を少し下回るくらいが平均と言った感じである。つまり、塾の講師の方がよりブランド力の高い大学の出身者が多いという事であるが、これは、上位者に絞って見れば見る程、その傾向は強くなる。
 ところで、私は以前に勤めていた塾で、”塾の講師は、なぜ変わった人物が多いのか?”という議題で議論を交わした事がある。その時、とある人物はこう言った。

「最初、この業界に入る時、自分が最も高学歴な部類に入るだろうと思っていた(この講師は、東北大学の出身である)。ところが、いざこの業界に入ってみると、自分よりも高学歴な人間など幾らでもいる事を知り、驚いたのを覚えている」
「高学歴な講師の大半は、一度はどこかの一流企業に幹部候補として採用されている。つまり、彼らはかつて、安定した収入と社会的地位が保証された環境の下に、自らの身を置いていたのである。そんな恵まれた境遇を敢えて捨てて来た人間ばかりであるならば、この業界に変わった人間が多いのは、寧ろ当然の事なのではないか?」

 これは、理由にはなっていない。しかし、正論ではある。

【7】講師のスキルと業務経験

 私は以前、講師の育成(研修)を担当していた事があるが、そこで培った経験から言うと、講師としてのスキルと業務経験が(ある程度)比例するのは、5年目くらいまでである。その後、10年目くらいまでは弱い(正の)相関が見られ、それ以降は経験年数との相関がほとんどか、或いは、全く見られなくなる事から、講師経験が5年を過ぎた講師に関しては、そのスキルを推し量る上で経験年数はあまり参考にならなくなる。
 ちなみに、講師という仕事は、最初は駄目でも、数年経てば見違えるくらい上達する者がいる一方で、最初そこそこ出来る人が、ずっとそこそこだったりするなど、初期におけるスキルだけを見ても、将来を予測しづらい職種である。ただ、前者は基本的に、知的レベルの高い者に見られる傾向であり、これには、学習能力やパターン認識能力、合理的思考力が多分に関係しているものと思われる。

【8】新人講師の育成(塾の関係者向け)

 私が以前、新人の研修を担当していた際に実施した主な改善点は、以下の二点である。

① 研修初期に於ける、授業見学と模擬授業(※08)の順序の変更

 通常、塾が新人(授業の経験がないか、もしくは、浅い者)に対し研修を行う場合、最初に授業の見学をさせ、それから模擬授業、後は、同じ流れの繰り返しといったパターンが主流であるが、これは少々、不合理である様に思う。そもそも、被研修者は、研修に入るまでの間、どれだけの授業を受けて来ているのであろうか?通った学校や年数、通塾歴の有無により様々であろうが、私の試算では、通塾歴がなく、留年・浪人を経験していない大卒者で、およそ12000~15000時間。つまり、一時間の授業見学をしたとして、そこで得た情報量は、それまでに得て来た情報量の0.006%~0.008%程度に過ぎないという事になる。これでは、然したる効果は期待できまい。
 そこで、私は、模擬授業から入る事にした。実際に講師を(何度か)経験すれば、克服すべき課題が見えて来る。例えば、特に難しいとは思われなかった事が、実際には思う様に進まなかったり、これで万全だと準備していたものが、実際には不備だらけだったりといった事が起こるのである。また、自分で授業をやる様になると、他の講師が授業を行っている際の心の動きも、分かる様になって来る(※09)。”今、気分が乗ってるな””これは、少し戸惑ってるな””今、確信のない事を喋ってるな””さっきのアレは、失敗だったと自覚しているな””ここで、この説明を入れたのは、あの時の失敗を挽回するためだな”…こういった事が、目線や手の動き、話すテンポや間の取り方、声のトーンといった、一見して瑣末に見える事柄の中から、読み取れる様になって来るのある。つまり、実際に授業をする事によって、講師の視点でものを見る事が出来る様になり、同じ授業を見学しても、得られるものが格段に違って来るのである。

② 模擬授業(1回あたり)の実施時間の延長

 通常、模擬授業は05分~20分の幅で行うが、これだと多くの新人の授業は、演劇になってしまう。つまり、あらかじめ(大まかな)台本を用意しておき、その通りに”演じて”しまうのである。しかし、実際の授業は時間が長く数も多いため、授業の度に台本を用意する訳には行かない。また、台本通りこなす様なやり方だと、生きた言葉を発する事が難しく(※10)、また、不測の事態が生じた際に、上手く対処する事も出来ない。つまり、授業は基本的に、青写真を基に臨機応変に対処しつつ行うものであり、台本どおりに進めるものではないのである。
 そこで、私は、模擬授業で行う単元を前日に指定し、時間も90~120分と長めに設定した。これならば、脚本の作成から演技の稽古までを行う時間的余裕がないため、全体の構成だけを頭に入れた上で模擬授業に臨むしかない。また、時間を長く取る事は、緊張を緩和し、失敗に対する恐怖心を薄れさせるから、演習としても高い効果を期待できるのである。

 ただ、一つだけ言っておかなければならない事がある。研修では、講師としてのスキルは(ほとんど)向上しないという事である。こればかりは、実際の授業をこなして行く中で向上させるしかなく、研修で出来る事と言えば、新人が実際の授業の現場に出た際、講師としてのスキルを効率的に高めて行ける状態に近づけるといった程度の事である(※11)。ならば…と思われる方が、いるかも知れない。キャリアの浅い講師に当たってしまった生徒は、損ではないか?…と。率直に言うと、その通りである。そして、こればかりは、どうしようもない事である。なぜなら、(良いか悪いかではなく)事実としてそうなのであり、また、やむを得ない事なのだから。未来のベテランが新人であるという事実がある以上、新人は誰かが犠牲になり、育てるしかない…これは、ある程度のスキルが要求される仕事であれば、ほとんどの仕事について言える事なのではないだろうか?
 結論するが、新人講師を育成する最善の方法は、研修で自律的に育つ土壌が出来上がった後は、さっさと現場に出す事である。ただ、授業スキルの向上に繋がる事で、当事者自らが出来る事が一つある。教科の力(学力)を、向上させる事である。よく、”学力と教える能力は別物”と言う人がいる。確かに、その通りである。しかし、講師としての成長は、”try and error”の繰り返しの中から生じ、心理的な余裕がなければ、”try”など出来はしない。つまり、講師としての成長には、”心の余裕”が不可欠なのであり、そのためにも教科の力は、十二分に身に付けておいた方が良いのである。

※08:授業スキルの向上、及び、確認のため、実際の授業形式で行う演習の事。通常は、生徒役を務める研修の担当者や同僚を相手に、対象者が授業を行う。
※09:ただし、これには見る側の資質による個人差が(かなり)ある。
※10:よく、漫才師などが、”ネタに慣れ過ぎると良くない”というが、これは、(慣れにより)ネタが台本化し過ぎてしまい、生きた芸が出来なくなる事に対する警告である。
※11:上記①・②は、この目的の下に行われた改善である事に、留意されたし。

【9】研修について

 上記【6】では、研修が講師としてのスキルを向上させる上で、ほとんど効果がない事を指摘したが、その研修に力を注いでいる塾というのは、確かに存在する。それら塾の”本当の”目的は、大体に於いて以下の三つである。

① 新人講師の促成栽培

 講師の頭数が足りなくなれば、補充すれば良い。当たり前の事である。この際、業界に詳しくない人は、充足するならば、十分な能力とキャリアを持った人間の方が良いと思われるかも知れないが、実は、こういった人材を積極採用したがる会社というのは、あまりないというのが実情である。
 能力のある人間は、一般的に言って自己主張が強い。また、そういった人間は、基本的にキャリアがあり、その分だけ年齢も高い場合が多いから、その傾向は余計に強くなる。こういった人材を積極採用し、能力に応じた待遇を用意する度量の大きい会社であれば、その会社は大いに将来性があると見て良いだろう。ところが、日本には基本的に、成熟した(本当の意味での)大人が少ないから、そういった人間は積極採用されるどころか、煙たがられるのが普通である。つまり、本来ならば経営者は、会社としての(社会的)意義や利益を優先的に考えなければならないのだが、元々いる権力者たちの居心地の良さの方を優先してしまうのである。”日本人は、実力を人格で評価する”…よく言われる事だが、これは真実であろう。そしてこれは、いま以て日本に(本当の意味での)実力主義が根付かない、最大の要因でもある。
 自己主張をしない人間を望むならば、なるべく若く、また、業界経験のない人間を雇うのが良い。しかし、こういった人間をそのまま教壇に立たせる事は、商品力の低下に繋がり、ひいては、塾としての競争力の低下に繋がってしまう。そこで、塾は、こういった人間にちょっとした仕込み- ”大きな声で話す””敬語を使わない””テンポよく授業を進める”といった形に矯正 -をする。つまり、そうする事により、新人講師を自信があり、手慣れた経験者であるが如く”見せかけようとする”のである。

② アリバイ作り

 講師が、明らかに未熟であるとか、若年であるといった場合、そこを突っ込まれると、塾としては対処に困ってしまう。そこで、”研修を行っている”、即ち、”改善すべく努力はしている”という事実を強くアピールする事により、批判に対処しやすくするのである。尚、これを目的とした研修を行う塾は、見た目から明らかに若年者であると分かってしまう(例外もいるが)、大学生講師を多く採用している塾に多い。

③ マウンティング(格付け)

 ①のジレンマ、即ち、商品(授業)の質という観点から見れば、十分な能力とキャリアを持った講師が望ましいが、自己主張はさせたくないという板挟みの状態を解消すべく目的で、研修が行われる事がある。ちなみに、この種の目的の下に行われる研修には、以下の特徴がある。

ア:研修対象となる講師を、極力否定する。
イ:不合理な(意味のない、儀式的色彩の強い)決まり事を強要する。

 アは、自尊心を低下させる事により、制御しやすくするのが狙いである。この場合、研修の担当者はあれこれと難癖を付けるが、しょせんは反対のための反対、即ち、言いがかりであるから、その内容は、”ああ言えば、こう言う”式の一貫性のないものであったり、重箱の隅を突く様な陳腐なものであったりといった場合が多い。
 イは、研修対象者の納得の行かない指示を出し、それに従わせる、もしくは、その指示から外れた際の指導を行う事により、”従う者と従わせる者”といった関係性を築くのが狙いである。具体的には、大きな声で挨拶や自己紹介をさせたり、反省の弁を述べる事を強要したりといった事が、これに該当するが、これは、出された指示が研修対象者の納得の行かないものであればある程、また、その指示から外れた際にする指導の回数が多ければ多い程、高い効果を発揮する。
 ちなみに、学校の校則などの一部も、これと同じ目的で作られている。代表的なものとしては、髪の長さや服装(靴下の色など)などがあるが、これらの本当の目的は、指導する機会を極力増やす事により、生徒と教師との間の”従う者と従わせる者”の関係性を強化する所にある。だから、これらの校則が不合理なものである旨、指摘しても、学校(教育委員会)側は決して改めようとはしない。その校則が存在する本当の理由は、そこにはないのだから、”その校則が(表向きの理由に鑑み)不合理である”というのは、それを改めるべく十分な理由にはならないのである。

 ”研修に力を注いでいる塾”と言えば、あたかも良心的であるかの如き印象を受けるが、上記①~③のいずれもが、(講師としてのスキルの向上を目的としたものではなく)塾側の利己的な理由によるものである事に着目すれば、その印象がいかに誤ったものであるかが、よく分かるだろう。結論としては、いかなる立場であれ(通う側であれ、働く側であれ)、こういった塾とは関わらない方が無難である。

<< 終章 >>

 塾というものを、素人目線からは見えにくい所を中心に書いたつもりであるが、いかがだったであろうか?もし、更なる不明点などがある場合は、メールにて直接、お申し出いただきたい。全てに回答できるとは限らないが、可能な限り回答するつもりであるし、内容によっては(申し出た方の承諾が得られれば)、本ウェブサイトの方にも掲載して行くつもりである。