正常な国際関係とは?

 少し前まで、日本には中国や韓国に批判的であってはならない…というおかしな風潮があった。この最大の理由はやはり、戦後GHQにより日本人にもたらされた、ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラムによる、中国・韓国に対する加害者意識だろう。加害者であるから、中国・韓国に対しては最大限尽くさなければならない…そんな思い込みが、かつての戦争の話さえ持ち出せば金が取れる都合の良い国に、この国を仕立ててしまっていたのである。ところが、ここ数年、日本国内に於いても中国や韓国に批判的な論調が表立って出て来る様になった。つまり、世論がこれを許容し始めたのであるが、その理由もやはり明白だろう。増長した両国のここ数年来の目に余る暴挙が、日本人を開眼させた…両国の愛すべからざるその本性に、気付かせたのである。そう考えれば、ここ数年来の中国・韓国の横暴も、日本にとって必ずしもマイナスとは言えない。ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラムの効力を大幅に薄れさせ、かなりの割合の日本人が、多少なりと冷静なものの見方が出来る様になったのであるから、少なくともこの点については、前進と見做すべきである。
 しかし現在でも、中国・韓国に批判的な論調で物事を述べると、必ずと言って良い程にそれを非難する者達がいる。その主な内容は、日中・乃至は日韓の関係が悪化するというものであるが、こういった非難は、甚だ馬鹿げている。
 つい最近まで、日本は中国・韓国の一方的な言い分を二つ返事で受け入れ、彼らがどんなにやりたい放題やらかしても、決して批判をしなかった。日本の態度がそうであるならば、確かに向こうが不快感を示す事は無いだろう。しかし、これが正常な国際関係と言えるだろうか?
 私が中高生の頃、”いじめられっ子”というものが、どこにでも必ず一定数存在しており、彼らは不良グループによる、どんな理不尽な要求でも受け入れていた。金を出せと言われれば、素直に渡す。パン買って来いと1円を渡されれば、一食分のパンと飲み物を買って来る。下半身を露出して踊れと言われれば、見苦しい格好を晒し、手足をバタつかせる。要求どおりにさえしていれば、不良グループとの間に軋轢が生じる事はないが、それは正常な人間関係とは呼べない。日本と中国・韓国との国際関係にしても、同じ事であろう。かの国の蛮行を批判せずして保たれている平穏など、単なるまやかしでしかない。
 日本の政治家の多くは、他国ならば決して認めないであろう希薄な根拠を以て先人達の罪を無責任に認め、湯水の如く国家予算を費やし、争いを避けて来た。しかし、相手の言いなりになる事により軋轢が生じないのは”当たり前”であり、そんなものは全く評価に値しない。いや、寧ろ、政局の安定の為、先人達の名誉を平然と汚し、国家に不利益を与えているのであるから、これは本来ならば、非難されて然るべき話なのである。
 非難すべくは、非難する。また、それにより両国の関係が悪化したとすれば、その責任は非難をした側ではなく、それを逆恨みした側にあるのである。国際関係が正常に築けているというのは、単に軋轢が生じていない状態を指すのではなく、双方が正しいものを正しいと認め、尊重し合っている状態を指す。この辺りを、日本人は今一度、再確認しなければならない様に思う。
 一つ、追加で言っておく。上に”中国・韓国に批判的な論調で物事を述べると、必ずと言って良い程にそれを非難する者達がいる”と書いた。この類の非難に最も積極的なメディアは朝日系列(テレビ朝日・朝日新聞)であるが、これらがマスコミが守るべき大前提である客観性・公正さといったものに疎いのは、某討論番組に田原総一朗を使い続けている事からも明らかである。気に入らない発言は妨害する。嫌いな論客は煽る。討論の進行役として、これ程に不適切な人間も、そう多くはいないだろう。

—追記—————————————————
 中国や韓国を批判しているので、そう思われたのだろうが、先日、ある人物から、「あなたは、人種差別主義者なのか?」と聞かれた。結論から言うと、私は人種差別主義者ではないし、そもそも人種とは言っても、日本人と中国人・韓国人では、遺伝的にそう大きな違いがある訳ではない。また、人種差別とは基本的に、国家や民族に対する帰属意識の上に成り立つものである。私は、とりわけ母国である日本が好きな訳ではないし、また日本人だというだけの理由で同胞だと思った事も、中国人や韓国人だというだけの理由で余所者だと思った事もない。もっと言えば、私は国家や民族などという概念そのものを、くだらないものだと思っている。
 通常、”中国は””韓国は”と言えば、それが指すものは各国の政府か、広義にはそれぞれの国が持つ文化であり、個々の中国人や韓国人ではない。無論の事、私が言う場合も同じである。
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