つい先日から、私は小説の執筆に取り組んでいる。今迄にも何度か、遊びで程度に書いた事はあるが、本格的に小説の執筆に取り組むのは、これが初めてである。理系の人間が小説を書く事に、違和感を覚える方もいるだろうが、実は高名な小説家には、理系の人間― もしくは、(出身は文系だが)理系の脳を持った人間 ―が結構含まれている(※01)。確かに、抽象的思考― 数学などは、これを必要とする代表的な科目である ―が得意であるという事は、論理的に物事を考える上で核となる能力であるし、思考を深めて行くには、その”論理的思考力”が不可欠であるから、― 単なる思い込みの羅列ではなく ―物事の本質に深く切り込んだ、知的に高度な作品を作る上では、寧ろ理系の人間の方が向いているとすら言える。更に言えば、知的レベルの異なる人間が、同じ作品を楽しむというのは明らかに無理がある(※02)から、その意味でも趣の異なる文学というのは、やはり必要であろう。ちなみに、私が今書いているものは、個人的な実体験に基づいたものであるが、全てが事実という訳ではないし、幾つかの体験が入り混じった― 実質的には創作の ―箇所も少なからずある。タイトルは”流星”、内容は小さな恋の物語。そう遠からぬ未来に、何らかの― 誰もが読める ―形で発表する予定である。宣伝も兼ねて、ここに記しておく。
ところで、つい数か月前の事だが、全米作家協会(The Authors Guild)が、― AIではなく ―人間が書いた小説である事を証明する認証を導入するという記事が目に入った。これは、プロの作家の集団である彼ら自らが、自分たちの書いたものとAIが書いたものの区別が難しくなって― 差がなくなって ―来ている事を認めているに等しいから、この決断をするに際しては、相当の覚悟を必要とした事だろうと思う。そう言えば、ChatGPTが世に出てからというもの、AIの持つ可能性― 特に、近い将来に於いて、人間に取って代わられる職業 ―が話題になる事が多くなった。まあ、それだけ不安を感じている人が多いという事なのだろうが、こういった議論をしている人たちの言い分を聞いていると、私はいつも違和感を覚える。彼らの言い分は様々であるが、それらは皆一様に、AIという”人間の脳とは全く違う異質のもの”が、その人間の仕事の成果をどの程度”模倣できるか”といった切り口で語られている。つまり、”人間の脳が特別なもの”であり、その振る舞いをコンピュータの中で再現する事は不可能であるという前提は飽くまでも崩さずに、議論を進めようとしているのである。
この種の人たちが、こう考えたがるのは、人間の感情を― 何の根拠もなく ―神聖視してしまっているからであろう。つまり、人間の感情と言うものは”特別なもの”であり、どだい電気信号などに置き換えられるものではないという思い込み― もしくは願望 ―が、彼らを頑なにしているものと思われる。こういった者たちの多くは、おそらく魂の存在を信じてるのであろう。しかし、そういった― 何の根拠もない ―前提に立って議論するのは、明らかに知的な態度とは呼べないから、そこには敢えて触れない様にしているものと思われる。しかし、人間の脳の営みが、究極的には微細な電気の遣り取りである事― 事実 ―を前提に考えれば、それをコンピュータの中で再現できないと考える方が、寧ろ不自然であろう。人間の脳の解明が進み、― 量子コンピュータなどの実現により ―今よりもコンピュータの性能が飛躍的にアップするであろう事と併せて考えれば、― 感情を含む ―脳内の活動の一切をコンピュータ内部に再現する事は、もはや時間が解決する問題である様に思われる。
独創的な科学者は、純粋に― 即ち、根拠のない前提や願望などを交えずに ―”事実”に基づき”論理的”に考えるが、彼ら論者のやっている事は、その逆である。建設的な議論の出来る、知的な論客の登場が望まれる。ちなみに…私はと言うと、理性は人間の脳を特別視してはいないが、感情は魂の存在を信じたいと思っている。つまり、殊この問題に関してだけは、理性の方が間違っていれば― 前提に何らかの不備があれば ―良いと、本気でそう願っているのである。亡くなってしまった者たち(※03)には、やはり会いたいから。無論の事、これが私の一面の弱さ故である事もまた、科学的な人間の矜持として付け加えさせて頂きたいと思う。
※01: 日本では、漱石や鴎外がその代表格だが、海外に目を向けると、ドイルやスティーブンソン、トウェインやモンゴメリーなどが、その列に加わる事になるだろう。
※02: 短編56、長編4の計60篇から成るシャーロック・ホームズ(ドイル著)のシリーズは、科学者にファンが多い事が知られている。私もなかなかのシャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家)だが、これはホームズの思考のあり方が、独創的な科学者のそれと同じである事に起因していると思われる。
※03: 本ウェブサイト記事、”祖母・懺悔・幸福・父”参照。