果たして私は、運転が荒いのだろうか?確かに、私のあらゆる感覚は人と違うのではないかと思う事がある。例えば、私は首都圏の道路を運転する際、強いストレスを感じてしまう。”加速がゆるやか””減速のタイミングが早い””カーブの手前での過剰な減速””黄色(信号)でも行こうとしない””スピードを出さない”etc…。正直、アクセルを全開にして周囲の車を蹴散らしたい衝動に駆られた事も、一度や二度ではない。19歳で自動車の免許を取得し、その二か月後に6点減点の一発免停― 32㎞オーバー ―を食らって以来、私は幾度となく警察に検挙され続けて来た。ところが、3年以上検挙歴なしという奇跡が起こり、人生初のゴールド免許が見えて来たと思っていた矢先、後ろからこっそり近づいて来た白バイに止められ、スピード違反を取られてしまった。しかも、この違反は自動車ではなく原付である。つまり、原付は公道で30㎞/時以上出してはいけないという、あのおよそ交通の実体に即しているとは言い難い法律を守らなかったという馬鹿げた理由で、私のゴールド免許の夢は潰えてしまったのである。
ところで、この馬鹿げた法律が施行されるに至った背景をご存知であろうか?ヒントは、この”原付(原動機付き自転車)”という名称の中にある。本田宗一郎― 本田技研工業の創立者 ―が好きな方なら、彼が戦後間もない頃、自身の嫁さん― さち夫人 ―の自転車に軍事無線機の(発電用)エンジンを取り付けたという話をご存知の方も多いのではないだろうか。これは、今で言う電動アシスト自転車に近い代物であるが、昔の原付とはこうした乗り物だったのである。ところが、そもそもが自転車であるから、人の発生し得る出力を超えた力がかかる事を前提とした設計にはなっておらず、強度や安定性といった点に於いて不安がある。そこで設けられたのが、この30㎞/時制限という訳である。しかしながら、言うまでもなく今の原付はその原動機(エンジン)の性能に基づいた設計が為されており、60㎞/時を超える走行でも他の区分の車両と比べて危険と言う訳ではない。つまり、技術の発達した現在に於いて、この法律は全く正当性を持たないのである。
そこで、私はこの警察官― 交通機動隊員(白バイ) ―に対し詰問した。何故に原付で30㎞/時以上のスピードを出すのが危険なのか?…と。無論の事、この破綻した論理に基づく法律の正当性など示せる訳はない。外国人から見れば、明らかに車の通っていない状況でも、横断歩道の信号が青になるのを待っている日本人が不思議に思えるらしいが、その理由は自分で考え行動する事が苦手な国民性のみならず、こんな状況でも歩行者を取り締まろうとする― 交通の安全ではなく、法律を守る事が目的になってしまっている ―警察にもあるのではないかと思う事がある。こういった傾向は、職務に忠実であるが故のものなのだろうか?しかし、自身が説明し得ない理由を以て警察権力を振り翳すが如きは、如何にも軽薄である。
私が、素直に応じようとしないからだろうか。今度は、私の靴が取り締まりの対象に成り得ると、脅しにも似た事を言い始めた。何でも、私の靴がサンダル― 正確には、クロックス ―だから駄目なのだと言う。しかし、サンダルで運転してはいけない理由は”踵がないから”であり、クロックスには― サンダルっぽくはあるものの ―踵を固定する部品が付いているから、これには該当しない。すると、今度は私が踵を固定していないではないから違法だと言う。確かに、私はいつも― 早く履ける様に ―踵を固定する部品が踵に来ない様にして履いているが、これは例えばスニーカーや革靴の踵を履いて運転するのと理屈は同じであるから、それらが取り締まりの対象にならない以上、このケースのみを取り締まるのは合理性を欠いている。そこで、その旨伝えると、今度は不貞腐れた様に「もういい」と言い放ち、挙句は「何を言っても、あなたが色々と言って来るから」と捨て台詞を吐いて来た。”ああ言えばこう言う”を地で行っている― 合理性を欠いた反論を繰り返している ―のは、明らかにこの警官の方なのだが、そもそもが自身のノルマのために捕まえにかかっている人間に誠実さを求めたところで無駄であろう。ただ、書類への署名は”正当性を欠く法律には従えない”という理由で、最後まで拒否した。
実際に運転する人なら分かると思うが、30㎞/時という速度制限は余りにも交通の実体から掛け離れており、おおよそ遵守し得るものではない。また、あまりにも現実的でない― 守るのが難しい ―法律は遵法意識の低下を招き、それが他の法律にまで影響を及ぼす事までをも含めて考えれば、却って危険を誘発しているという側面もあるのではないかと思う。いずれにせよ、この”百害あって一利なし”の法律は、直ちに撤廃すべきである。
ところで、あの警官の私への反論としては、何が最も有効だったのであろうか?私が所持しているのは(自動車の)普通免許のみであるから、二輪の操縦技術の未熟さを理由とするのが、おそらくは最も理に適っている様に思われる。しかし、そうであるならば30㎞/時の速度制限はバイクの排気量ではなく、免許の区分によらなければならないから、やはり論理的な齟齬は生じてしまう。いずれにせよ、この制約に正当性はないという事である。