’16 アメリカ大統領選 – 追記②

 先日、一通のメールが、私の下に届いた。内容は、アメリカ大統領選についてである。彼(彼女?)に言わせれば、自分はトランプの当選を見抜いていたのだと言う。それを聞いた時の私の心境は、”また、この手合いか…”であった。この種の人間というのは、いつの時代も必ず一定数は存在する。人が何かを主張すると、必ずと言って良い程、否定的な見解を述べる。そして、その主張通りに事が運ばなければ、「ほら見ろ」「言わん事っちゃない」「だから、言っただろう」といった類の事を述べ、訳知り顔をする。当然の事ながら、その主張通りに事が運んだ場合は、まるで否定した事実などなかったかの様に、素知らぬ顔をする。手口としては、どこぞやのインチキ占い師と同じである。
 最初は私も、無視しようかと考えていた。しかしながら、こういった人間は、積極的に意見を述べる人間を萎縮させる事により、クリエイティブな環境を阻害する…即ち、社会の進歩という観点から見れば、害悪でしかないから、私は少し、灸を据えてやる事にし、次の様に問うた。

>何故、そう考えたのですか?

 すると彼は、アメリカ国民の多くが、移民に対し悪感情を抱いている事を挙げた。そこで私は、一文だけのメールを送った。

>それだけですか?

 明確な答えがなかったので、更に私は、次の内容のメールを送った。

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 緻密な分析の上に示された結論であれば、それは評価に値します。しかし、あなたが挙げている要素は、数多あるトランプに有利な理由の中の一つに過ぎず、また、それがどういった影響をもたらし、どの程度の票を呼び込むのかといった辺りまで踏み込んで考えた形跡もない。つまり、貴方は何の理由もなく、ごく限られた要素のみを偏った形で重視し、結論を下している訳です。
 極めて不十分な…即ち、短絡的思慮の上に導き出された結論は、例えるなら丁半博打で”丁”と宣言するのと、大差ありません。つまり、例え当たったとしても、それは”たまたま”であるに過ぎないという事です。”丁”と宣言し、それが当たったという事実を以て、自身の力量を過信する人間がいたとして、私はその人物を”馬鹿”とみなします。あなたは、どうでしょうか?
 ところで、私はあなたに対し、多少の関心を持っています。通常人の理解力とは、果たしてどの程度のものなのか?今の私は、紐で吊るされたバナナと椅子だけが用意された空間の中で、チンパンジーが上手にバナナを取る事が出来るかどうかを興味深く見守っている、動物学者の心持ちです。
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 彼は、私のブログの記事をあれこれと非難し始め、それが客観的な見解であるが如く見せかけようと、細心の注意を払っていた- 私に最大限の心理的ダメージを与えようと、躍起になっていた -ので、彼の心に深い傷を残した事だけは、よく分かった。つまり、私は、社会の進歩を妨げる要因を排除する事に、多少なりと貢献した訳だ。
 当たり前の事ではあるが、現実的な物事の多くは、単一の要素によって成り立っている訳ではない。例えば、彼は”アメリカ国民の多くが、移民に対し悪感情を抱いている”事をトランプ有利の理由として挙げたが、それ以外にも、トランプに有利な理由は数多くあっただろうし、それと同じ位、クリントンに有利な理由もあるはずである。重要なのは、これらの内のどの要素が、どの程度の影響を与えると考えたのか?そして、何故にそう考えたのかであり、そこまで突き詰めた末に導き出された結論でなければ、”見抜いていた”とは言えない。

 思慮深さとは、確保された客観性と論理性の度合いであり、結論の正しさは、その度合の高さを必ずしも保証する訳ではない。現代人の多くは地動説を信じており、おそらくそれは正しいが、だからといって現代人が、天動説を信じていた時代の人々よりも賢明であるとは言えない。現代人の多くは、昔の人々が天動説を信じていたのと”同じように”- 根拠や論理などを吟味せず、無批判に -、地動説を信じているに過ぎない。