投稿者「takeshigagami」のアーカイブ

青少年の頃の思い出④

 最近は、その様な傾向が薄れて来た様に思うが(一部には、まだ見られるが)、私が十代だった頃は、若者を誹謗・中傷する類のTV番組が、かなり多かった様に思う。”今の政治について、どう思いますか?””今の日本のあり方は、正しいと思いますか?”…こんな質問を、平日の昼間に渋谷をうろついている若者にぶつけ、馬鹿な回答を引き出しては、”今の若者は…”と嘆く。朝からパチンコ屋に入り浸っている中高年を以て、今の中高年の平均だと主張した所で、そんな主張を彼らが受け入れるとは到底おもえないが、それと同じ類の事を、社会的弱者である若者に対しては、平然とやらかすのである。そう言えば、中学校の修学旅行の時- 私たちの中学校では、これは二年生の行事だった -、400名近い生徒の中から、何故か私だけが目を付けられ、毎日新聞社の記者に付きまとわれた事があった。天皇制についての考え方を、いろいろと聞かれ(※)、最後に、”あなたの発言を、記事にして良いか?””名前を、出しても良いか?”と確認して来たが、おそらくは使われなかったのではないかと思う。”天皇制などという馬鹿げた制度は、さっさと廃止すべきだ””私には、天皇を崇拝する人間と、カルト信者の区別がつかない”…こんな過激な意見が、新聞記事になるというのは、ちょっと考えにくい。
 私が、小学校5、6年生の時の担任の教師(”独創性”の中でも、述べた教師)は、この種の誹謗や中傷を好む、典型とも言うべき類の人間だった。この手合の人間の根っこにあるものは、おしなべて”自己顕示欲”である。上の立場に立ってものを言いたいから、特に気に入らないものでない限りは、常に世間的に支持されている側に立とうとする。そう言えば、戦前は富国強兵を唱えていた癖に、戦争に負けると見るや、手の平を返した様に反戦を唱える者がいたと言うが、当時の私の担任の教師などは、まさにこの類の人間である。この種の人間は、世を善導する人間を散々に妨害しておきながら、世の中の情勢が変わると見るや、途端にそちらの側に付く。オイシイ所だけを取ろうとする彼(彼女)らは、おしなべて独創性を阻害する存在であり、社会にとっての害悪である。
 そんな彼女が一度、とある授業で、”最近の若者は、選挙に行こうとせず、嘆かわしい”といった風な事を語っていた事があった。”選挙には、必ず行くべきだ”と。私は、その授業後に彼女の下に行き、次の様に反論した。”投票しない”というのは、”全員に投票する”というのと、ほぼ同じ意味を持つから、投票しないといった形の投票も、一理あるのではないか?例えば、候補者が4人いて、その内の3人から1人を絞れない(3人を、同じくらい支持している)といった場合、不合理な選択をするよりも、投票しない(≒ 全員に投票する)方が、自身の意思を反映した事になるのではないか?有権者の意思の反映が、選挙の趣旨である以上、投票する事にこだわり、合理性を欠いた選択を迫る事は本末転倒である様に思うが、如何だろうか?
 その後の彼女の反応は、私の予想した通りであった。逆上し、恨み言を散々ならべ立てた挙げ句、反抗的な生徒だと決めつける。この、反抗と主張の区別もつかない馬鹿を- そして、好き放題やらかし、害悪を垂れ流し続けている腐り切った人間を -大枚はたいて(国が)飼っているという状況こそが、この国の持つ闇を、映し出している様に思える。

※:当時は、天皇家(直系)の次男と川嶋紀子が結婚したばかりで、皇室が注目を集めていた。