独創性

 先日、とある方から、次の内容のメールを頂いた(一部抜粋)。

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 伊賀上さんの主張からは、既成の観念に囚われないという強い意志の様なものが感じられ、非常に独創的です。
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 おそらく、褒め言葉のつもりで言ってくれているのだろう。しかし、断言するが、私は今まで、既成の観念に囚われない様、配慮した事など、ただの一度としてない。ただ、普通に考えた結果として、様々な結論に達しているのである。

 青少年の頃、私はよく伝記を読んでいた。私が書物に求めるものは、多くの人が求めるものとは違う。否、嗜好性の高いものに限定すれば、おそらく同じであろうが、専門書や教養書、ドキュメントなどに求めるものは、普通の人のそれとは、明らかに異なっている様に思う。私は、これらの本を読む時、いつもこう考えている。”この本の著作者は、こう主張しているが、果たしてこれは、正しいのであろうか?”…と。つまり、私が、これらの本を読むのは、”自分が考えるきっかけを掴む”ためであり、断じて、そこに書かれてある知識を、そのまま頭の中に流し込むためではない。だから、私には学校教育が合わなかった。黒だと主張する理由が、先生がそう言っているからだといった、現在の教育のあり方に、馴染めなかったのである。
 だが、私が伝記に求めていたものは、他の書物に求めていたものとは、明らかに異なっていた様に思う。”伊賀上 剛史(著作者)の紹介”にもある通り、私はアスペルガー症候群で、特に幼少期から青少年期にかけては、変人・変わり者と見なされていた。そんな、理解者のいない中にあって、伝記の中の人物- 特に、アインシュタインやニュートン -だけは、大いに共感できた。彼らの多くが、幼少期から青少年期にかけて見せた特異な兆候は、私にも当てはまったのである。ただ、残念な事に、当時の私には、それが何故なのかが分からなかった。それが、高知能なアスペルガー症候群の人間に共通して見られる特徴である事を知ったのは、つい最近(数年前)の事である。
 彼らの多くが遺している言葉の中に、不当な解釈が為されているものがある。”常識に、囚われるな”という言葉が、それである。例えば、私が小学校の高学年の時の担任の教師は、よく己の好き嫌いで物事を判断し理由を後付しけしていたが、彼女がよく好んで使っていた言葉が、”常識に、囚われない””柔軟な発想”であった。まあ、しょせんは学校の教員であるから、そこまで高い知性を求めるのは酷な話なのかも知れないが、”常識に、囚われない””発想が柔軟である”という事と、”非常識””反常識”の区別すら付かない人間を野放しにしておくというのは、やはり教育の場のあるべく姿といった観点から鑑み、適切とは言えないだろう。
 偉人や天才が言う意味での、”常識に、囚われない”とは、思い込みで、物事を判断しない”という事である。そして、思い込みとは、”根拠のない決め付け”である。つまり、偉人や天才たちは、”根拠のない決め付け”を象徴するものとして、”常識”という言葉を用いているのであり、言うまでもなく、彼らは、単なる非常識や反常識、即ち、感情由来の決め付けや希望的観測までをも含め、是認している訳ではない。更に言えば、彼ら偉人や天才たちのこの主張は、現在の科学の根底にある論理実証主義と、本質的には同じものである。その科学が成し遂げて来た、数々の功績- 人類の進歩 -に思いを馳せれば、”根拠のない決め付けの排除”と”独創性”との結び付きが、如何に強いものであるか、分かるというものであろう。

 ”独創性(※)”の根幹にあるのは、”高度な論理性”である。この事が分かっていない人間は、あまりにも多い。

※ 但し、この場合の独創性とは、知的独創性に限られる。