東芝の子会社である、米ウェスチングハウス(WH)が連邦破産法を申請した。まあ、これについては、来るべき時が来たといった感じなので、然して驚きもしないが、私のよく知る東芝大分工場(昔、ここの体育館を使わせて頂いた事がある)の半分がSONYに売却され、あとの半分が東芝の完全子会社であるジャパンセミコンダクターの大分事業所になっている事には、私も多少なりと驚かされた。
私は、大企業というのは、巨大なタンカーの様なものだと考えている。少々の船に追突されたくらいでは、ビクともしないが、舵を切り損ねると、大事故に繋がる恐れがある。また、舵を切ってから、実際に進行方向が変わるまでには、タイムラグがあるため、常に周囲の状況に気を巡らし、先々の事までをも的確に見越した上で、舵を切らなければならない。そして、それをしくじってしまった時は、その事を運命共同体たる乗組員に伝えた上で、被害を最小限に抑えるべく、最大限の努力をしなければならない。東芝号の歴代の船長たちは、氷山に追突する事はもはや不可避であり、船底に穴が開くのは時間の問題であったにも関わらず、航海は順調であるかの如く装い続けた。乗組員の被害を最小限に抑える事よりも、己が無力さを隠し通す事の方を優先したのである。
一つ、不自然な点がある。かつて、株式会社ライブドアの代表取締役だった堀江貴文は、粉飾決算の廉で東京地検特捜部に告発された。一方で、東芝の歴代社長が行った粉飾決算については、未だ検察は動こうとしない。片や50億円強、片や1000億円超であるにも関わらずである。これは、どうした事であろうか?
こういった判断には、多分に心情的なものが働いているものと考えられる。堀江は生意気だ、傲慢だ。そして、社会的地位があり金もあり、その上、若さ(当時、30代前半だった)まで持っている。癪に障る、悔しい。何としてでも、叩きのめさなければ気が済まない…堀江に悪感情を抱く人間が考える事など、その程度のものであろう。まさしく下衆である。
以前に、知り合いのイギリス人(日本人と結婚)が言っていた事を思い出す。「日本人は、最初は善良に見えるが、付き合いが深くなるにつれて嫌になる」…アメリカ人文化人類学者、ルース・ベネディクトは、その著書”菊と刀”の中で、”欧米は罪の文化だが、日本は恥の文化だ”と書いた。欧米人は、悪い行いそのものを忌む感情が強いが、日本人は悪い行いそのものよりも、それに対して後ろ指を指される事の方を恐れる…日本という国が、まだ世界に余り知られていなかった当時にして、実に慧眼だと思う。
以前に書いた、メンサ日本語コミュ掲示板、並びに、メンサ公式サイト内(会員専用エリア)での一件(”MENSA(メンサ)”参照)ではないが、個人が特定できない条件下に於ける、日本人の悪辣さはどうだろうか?また、堀江の一件で見せた、日本人の欺瞞性は?表向きは善良を装っているが、ひとたび影に隠れた途端に、その理性のたがが外れる。成功者の足を引っ張る- 人を不当に貶める -様な、下劣極まりない行為であっても、仲間が多いと見るや否や、その馴れ合いに期待し横暴を押し通そうとする。その小心さ故に、悪辣さが表立っていない状態を善良と呼ぶならば、そして、数の力により正当化されただけの悪意を正義と呼ぶならば、それらはあまりにも陳腐である。
犯罪発生率の高い国もあれば、いま以て戦争をしている国もある。しかしそれは、社会の未熟さであったり、欠陥であったり、あるいは、一時的な不具合であったりといった性質のものであり、腐敗とまでは言えない。精神に於ける腐敗とは、本来ならば正しい(間違っている)と認識されなければならないものが、認識されない- 悪意により、歪められている -状態を指す。この国が抱える様々な問題の本質は、そこに住む人々の腐敗にあるのではないか?…私には、そう思えてならない。