「伊賀上さんって、宇宙人とか信じます?」
不意にこんな事を聞かれ、私は、
「宇宙人を信じるとは、どういう意味ですか?」
と聞き返した。すると、彼女は、その質問の意図が分からなかったらしく、少々戸惑っていたので、私は、更に詰めて質問した。
「地球外知的生命体が存在すると思うか…という事ですか?地球上の生命とは全く独立して派生した生命体が?」
その質問に対し、彼女は同意したので、私は答えた。
「それは当然、存在するでしょうね」
同志を得たとでも、思ったのであろうか。彼女は、UFOがどうの、グレイがどうのといった話を始めたので、私は誤解を解く必要に迫られた。
「いえ、それは今言っている意味での宇宙人ではありませんよ」
すると、彼女は、”えっ?”…といった顔で私を見た。どうやら、話の背景、つまり、前提とする認識が、彼女とは異なるらしい。
地球外知的生命体の存在を肯定すれば”非科学的”だと考える人が多いが、それは間違いである。我々人類が存在するのと同じ様に、宇宙のどこかには(人類以外の)知的生命体が存在する。非科学的なのは、この広大な宇宙の中で、何の理由もなく我々人類だけが特別であるとする考え方の方であり、天動説…即ち、地球を中心に他の天体が回っているとする考え方などは、こういった錯誤を土台とし成り立っている。
しかし一方で、知的生命体が存在する為には、非常に多くの条件をクリアしなければならない事も、また事実である。それらの条件が揃っている環境を持つ星など、そうはないだろうし、またそういった環境が整っているからと言って、そこに必ずしも知的生命体が存在する訳ではない。更に言えば、仮に知的生命体が存在したとしても、それは、その星を巡る歴史の中の瞬く間でしかない。となると、我々と時を同じくして存在している地球外知的生命体は、最も至近なものであっても、想像を絶する程に遠方である可能性が極めて高いという事になる。少なくとも、コンマ以下幾つもゼロが並ぶくらいの確率でしか存在し得ない星が、往来が可能な程にご近所さんだなどという事は、ほぼあり得ないだろう。
もう一つ。彼女の様な人々の間で信じられている最も一般的な形の宇宙人(グレイと呼ばれているらしい)が、我々人類と全く独立して派生したと考えるには、少々無理がある。左右対称である事、体を構成する各器官の位置、個数…我々人類と比べ、余りにも似過ぎているではないか。もっとも、全く独立して派生し、その派生した当初の生物学的特長が余りにも異なっていた(普通は、そうであろうが)としても、その生存する環境が類似しているならば、長い年月を経ている間に酷似して来るという事は十分に考え得る。つまり、自然淘汰の原理に従い、その環境に最適化された形に近づいた結果としてそうなるのであるが、無論の事、それには比較される両者が、進化の最終的な段階、若しくは、それに近い段階にある事が前提となる。果たして、我々人類はそこまで行き着いているのであろうか?恐らく、そうではないだろう。となると、あれらグレイと呼ばれるものが、人類と全く独立して派生した生物であるとする説は、愈々怪しくなる。
しかし…である。もし仮に、現在UFOであるとか、グレイであるといった具合に認知されている存在が、我々人類の問題(虚偽や錯誤)に帰結するのが困難な場合(飽くまでこれが前提であるし、そう判断するには、十分に慎重でなければならないが)、あれらの正体は、一体何であろうか?前述した通り、人類と全く独立して派生した生物である可能性は、ほぼ皆無である。ならば、どういった可能性が考えられるのだろうか?私には、あれらのものと人類のルーツを辿れば、同一の生物に行き着く…という以外に思いつかない。つまり、遠い昔には同じ種として存在していたものが、何らかの理由で袂を分かち存在しているという事であるが、少なくともこれならば、前述した二つの問題はクリアできるのである。
繰り返す。考察は飽くまで慎重でなければならないし、ある種の人々の様に、結論を急ぎ過ぎる余り、もしくは、ある種の結論に行き着く事に固執し過ぎる余りに、根拠の検証がおろそかになったり、論理が飛躍したりといった事態に陥るのは愚かである。しかし一方で、考え得る可能性がそれら以外には”ほぼ”あり得ない状況から、取捨選択の結果として唯一何かが残ったというのであれば、― 如何に突飛に見えようとも ―それが真実である”可能性が極めて高い”という事は言える(※)。
私は、ここで敢えて結論は出さず、これを読んでいる皆さんが、自分で考える材料を与えるに留めておく事にする。興味のある方は、是非とも考えてみてもらいたい。
※:”ほぼ”ではなく”完全に”ならば、― ”可能性が高い”ではなく ―断言する事が可能であるが、それ以外の可能性が存在しない事の証明は”悪魔の証明”であり、事実上困難である。