私がティーンエイジャーだった頃、とあるCMが私の目に飛び込んで来た。その直後、私は居ても立ってもいられなくなり、夜中であったにも関わらず家を飛び出し、しばらく走り続けていたのを覚えている。私は、スティーブ・ジョブズという人物をとりわけ崇拝している訳ではないし、また彼や、彼を崇拝する者達が主張したがる様に、ビル・ゲイツがクリエイティブではないと考えている訳ではない。だが、アップル・コンピュータに復帰したジョブズが、古き良きアップルの復活を世に知らしめるべく上げたこの狼煙は、あの当時の私を― そして今も ―確かに奮い立たせるのである。
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クレージーな人たちがいる。
はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達。
四角い穴に、丸い杭を打ち込む様に、
物事をまるで違う目で見る人達。
彼らは規則を嫌う、彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心を打たれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にも出来ない。
何故なら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。
自分が世界を変えられると、本気で信じる人達こそが、
本当に世界を変えているのだから。
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Here’s to the crazy ones.
The misfits. The rebels. The troublemakers.
The round pegs in the square holes.
The ones who see things differently.
They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo.
You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them.
About the only thing you can’t do is ignore them.
Because they change things.
They push the human race forward.
While some may see them as the crazy ones, we see genius.
Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
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”真面目”という言葉の意味について、考える事がある。”真面目な人”とは、どういった人を指すのだろうか?身なりが、地味な人?約束の時間を守る事に、熱心な人?大学を卒業し入社した会社を決して辞めず、定年まで勤め上げる人?その時代を支配する思想や道徳の中に、頭まで埋めている人?まあ、それ自体は特に、悪い訳ではない。しかし、これらの事柄にこだわり過ぎる人々というのは、単に世の中に流されているだけではないか?…と思う事がある。若しくは、自身の身をより有利な立場に置きたがっているだけではないか?…と。これらの者と、単なる愚か者や卑怯者、臆病者との間に本質的な差異など、果たしてあるのだろうか?一方で、歴史にその名を刻む偉人達が、強い信念や勇気、並々ならぬ強靭な意思を持って世に挑み続けたのは、彼らが不真面目であったが故なのだろうか?
私の定義する”真面目な人”とは、決して自身に背かない…背けない人である。何が正しいのか、どうあるべきなのかを純粋に考え抜き、また考え抜かずにはいられない人である。自身の出した結論を、そうする方が生き易いから、有利だからなどという安直な理由で放棄する事など決して出来ない…そういう人を指して、私は”真面目な人”と呼ぶ。
”世界最速のインディアン”という映画がある。生活の破綻者たる、とあるオートバイ狂の老人が、ボンヌビル・ソフトフラッツにてオートバイ陸上世界最速記録(1000cc以下)を叩き出すまでを描いた作品で、名優アンソニー・ホプキンス演ずるバート・マンローは、実在の人物である(※)。
あと数十年が経ち、老年期を迎えたとしても、あんなイカれたジジイで― 即ち、本当の意味で真面目な人物で ―ありたいと思う。
※:但し、物語そのものは、実話に基づいたフィクションである。