立花隆氏の訃報に思う

 立花隆氏の訃報が報じられた。誰もが入手可能な情報から田中金脈問題を暴き出し、ジャーナリズムのあり方に一石を投じた氏の、そして、この国の余りに非知的な民に対し、正しい知のあり方― 論理的・客観的である事 ―や科学の重要性を生涯に渡り訴え続けた氏の訃報は、― 自らの癌に関する手記が世に放たれた頃から、覚悟していたとは言え ―やはり私にとって、何とも形容し難い衝撃であった。
 私の氏に対する思いは、今日に至るまで十代の頃の記憶とリンクしている。まだティーンエイジャーだった当時、私は周囲の人間― 歳の近い知人や教師、自称インテリ(かかりつけの医師など)、果ては親戚に至るまで ―その余りの知的水準の低さに、大いに失望していた。当時、私は母に”猿に囲まれた中で生きている様だ”と話した事があるが、私と凡人との間には、凡人と知的障碍者との間に横たわるよりも深い(知的な意味での)溝があるのだから、それも決して大袈裟な表現ではなかった様に思う。当時の私には、馬鹿に対する耐性がなく、にも関わらず馬鹿に塗れて生きて行かねばならないという残酷な事実は、私に大いなる失望と無気力をもたらしていた(※)。そんな中、氏の著書に出会い、私と同じ様な事を考えている人間がいる事、ひいては、私の考えている様な事が理解できる人間が少なからず存在する事を知った。つまりは、然るべき環境に身を置きさえすれば、その時に抱えていた問題の大半が解決するという事実に気が付いたのである。それは、密閉されていると思われた洞窟に差す一筋の光であった。
 氏の持つ肩書は、様々である。ジャーナリスト、評論家、ドキュメンタリー番組制作者・解説者、大学教授、”ガルガンチュア立花”のマスター 兼 バーテンダー、棒読み声優…だが、私は氏の功績の最たるものは、優れた知識人としての在り方を世に示し、多くの知的な人々に影響を与え続けた事にこそある様に思う。”知の巨人”として存在し続ける事、それこそが氏のライフワークではなかったか。

 思春期の私を精神的危機から救ってくれた氏に感謝すると共に、心からご冥福をお祈りしたい。

※:長期に渡り極端なアンダーアチーバー(知的水準に対し、学業成績の低い者)になってしまったのは、こういった認識から来る気力の喪失が大いに影響している。詳しくは、本ウェブサイト記事、”英才児教育”参照。