”自動運転システムがもたらす未来”が、久々に書いた記事であったせいか、早速の反響が私の下に寄せられた。その人物が言うには、私の主張は、AIの技術が完全に世に受け入れられる事が前提になっているが、そんな事は現実には考えられないという。以下、これについて、述べて行こうと思う。
ちょっと前まで、AIに出来る事と言えば、掃除や洗濯といった、ごく単純なものに限られていた。ところが、最近では、高度知的専門職者が行う業務の一部までもが、AIで行える様になって来ている。例えば、米IBMが開発した”Watson”は、熟練の医師が思いもよらない治療法を考え出すと言う。また、法律事務所などでは、パラリーガル(法律業務の補佐的な仕事を行う者)の仕事の大半は、既にAIで代替可能なのだそうである。ところが、こう言うと必ずと言って良いほど、AIに批判的な輩が現れる。そして、次の様に言うのである。
”機械に、人間の医師や弁護士の様な信頼は得られない”
”医師や弁護士の業務は、コミュニケーションも不可欠な業務だが、それはAIには出来ない”
かつて、活字は全てタイプライターで打っていた時代があった。英文のタイプライターでも、それなりの修練は必要だが、文字数の多い邦文となると、その習得はより困難になる。必然的に、タイピストの数は少なく、それを専門とする業者までもが、ある時期までは存在していた。
日本語ワープロを最初に開発したのは、東芝の森健一を中心としたグループである。そのグループが、ワープロの開発に着手した際、当時の上司から”市場が狭い(邦文タイピストが少ない)のに、売れる訳がない”と言われたのに対し、森らは”この商品は、それを必要とする全ての人をタイピストにする商品だ”と反論したと言う。どちらの方が正しかったのかは、現在に生きる我々からすれば明らかであろう。ワープロ専用機こそなくなってしまったが、今や活字文書の作成を生業とする業者など存在せず、ワープロソフトは多くのビジネスマンにとって必須のツールである。
米IBMが開発したチェス専用機であるディープ・ブルーが、時の世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフを破ったのは、1996年の事である。この事は当時、驚きを以て世界中に伝えられたが、それでも競技の複雑さ(指し手の豊富さ)に鑑み、コンピュータが囲碁や将棋のトッププロを破るのは、まだまだ先の事だと考えられていた。しかし、今やコンピュータが人間に勝つ可能性に、異議を唱える者などいない。否、コンピュータが人間に勝つ事よりも、寧ろ人間がコンピュータに勝つ事の方がインパクトとしては大きいというのが実情だろう。トッププロの指し手の正しさを、コンピュータが判定する時代…これはもう、目前まで迫って来ている。
AIの技術も、おそらく最初は戸惑いを以て迎えられるだろう。しかし、それもAIの実現する迅速さや正確さ、合理性の高さなどを目の当たりにするにつれ、徐々に信頼の度合いを増して行くはずである。そして、やがては人々の認識も、”AIでなければ、信用できない””コミュニケーションが取れない事など、問題ではない”に変わって行く。テクノロジーの進化は、それだけを変えるのではない。人の認識までをも含む、多くのものを変えるのである。AIの持つ可能性を過小に評価したがる人たちは、詰まる所、歴史から何も学べない人たちなのではないか…私には、そう思えてならない。